祈りの本質とは?
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ人への手紙4:6,7 Do not be anxious about anything,but in evrything,by prayer and petition,with thanksgiving,present your requests to God.And the peace of God,which transcends all understanding,will guard your hearts and your minds in Christ Jesus. Philippians 4:6、7 私たちが神様にお祈りをする時、その祈りは、願い事を叶えていただくための、ご利益宗教的な祈りになってはいないでしょうか? 祈りの本質とは、ここにあるように、「人のすべての考えにまさる神の平安」をいただくことにあります。(7月24日の礼拝メッセージより) 私もこのメッセージを聞いて、考えたり反省したりしました。確かに、聖書には神様のみこころにかなった祈りは、すでに叶えられていると書いてあります。その祈りが叶えられたとしても、人間の都合の良い(私たちが望んでいる)形の答えであるとは限りません。大切なのは、私たちの自己中心的な思いではなく、神様のみこころであり、ご計画は何かということです。 私たち日本人は、子どもから大人までいろいろなものを拝んだり、祈ったりしています。亡くなった方や(注:亡くなられた方に対する思いや尊敬の気持ちは否定しません)、他の偶像に祈る力を、そのまま本当のの神様に方に向けてお祈りすれば、日本という国はどんなに素晴らしい国になるでしょうか? 毎日、神様にお願いしたいことはたくさんありますし、いろいろなことをお祈りしています。でも、その祈りがご利益宗教のような祈りにならないように、そして神様のみこころにかなった祈りでありますように。