留年候補生のお出かけ ~留年候補生 高円寺へ行ぐ~
注意・昨日の続きです。・ほぼ、ノンフィクションです。・話の中に出てくる店舗は実在します。それでは後編スタート!!!そう、私は最終バスの時間を19時と9時で勘違いしていた。私にはもう歩いて帰るという選択肢しかない。しかし、私におかしな選択肢が生まれた。隣の駅まで歩いてみようかな、と。疲れているせいか、私の思考はどこかで停止していた。隣の駅に行ったからといって、何かがあるわけでもない。しかも、家から遠ざかる。私は線路に沿った通りの入り口に、1件の古本屋を見つけた。本が山積みになった、神田によくあるタイプの店である。このタイプの店の多くは、客が来たところで「いらっしゃいませ」という言葉を発することは少ない。客もそんなことは望んでいない。本が売られてさえいれば、それでいいのだ。村上春樹の小説を探していた私は、店に入った。「1976年のピンボール」と「ねじまき鳥クロニクル」があった。しかし、ねじまき鳥のほうは紐に縛られた本の山の中に埋まっていた。わざわざ状態を見るために、紐を解いてもらうのには抵抗があった。しかも、2冊しかない。私はピンボールの方だけを買うことに決めた。もう1箇所、古本屋で見る場所がある。それは岩波文庫のコーナー。私は岩波文庫を集めている。経済学部という肩書きが、それをさせているのかもしれない。なんと、ここには私の探し求めていたロバート・マルサスの著書「初版 人口の原理」があった。人口論は、経済学をあまり好きではない私が興味を持つ数少ない学問である。しかも、200円で売っていた。店を出るとき、私は春樹とマルサスとペローとイソップを連れて行くことにした。カウンターにいるお爺さんに、そのことを告げて対価を支払った。いや違う、たぶんお婆さんだった。本屋にいるうちに気が変わった私は、食事をして家に帰ることに決めた。適当なラーメン屋で食事をした。くせがありあまり好みの味ではなかった。くせがあるということは、好きな人は好きだということだろう。昔、フられたことを相談した時、ある女性に「○○君は雰囲気があるから、好きな人は好きだよ」と言われたことがある。後で気がついたことだが、「変わってるから、変わった趣味の人もいるから大丈夫だよ」という解釈ができる。この場合、その意味とはちょっと違う。ラーメン屋には、サインが多く張られていた。ほとんどのサインが読めなかったが、読める芸能人は偶然にもテレビから消えていった順番に並んでいた。この順番からいえば、次は品川庄司が消えることになる。私は、物足りなさからコーヒーが飲みたくなった。商店街には、いくつか喫茶店がある。私は落ち着いた雰囲気の喫茶店を見つけそこに入った。盛岡市郊外にある、宮沢賢治が愛した「七つ森」から名前を頂戴したというお店だった。店は明治時代にいるような空気が流れていた。ブレンドの「ソフト」を注文した。コーヒーを待つ間、Rにテーブルの上にあるマッチで火をつけた。マッチで火をつけると、タバコの味が違う。私はこの味も嫌いではない。Rを受け止めてくれる灰皿は、光沢のない金色の金属製で梟の形をしていた。ステンドグラスのライト、店に並ぶ骨董品の品々、座り後心地の良い年代物の椅子、細部にまで細かいこだわりが伺えた。私の座った席の前には、アナログのレジスターが置かれていた。Rの火を消してしばらくして、コーヒーが目の前に置かれた。味は名前の確かにソフトだった。飲んでいる最中に、「よろしければどうぞ」と煎餅とチョコレートの乗ったお皿がテーブルに置かれた。私は煎餅は好きではない。ただ、こういうのは出されたものが好きかどうかとは関係なく嬉しい。美味しくいただいた。コーヒーを飲み終えると、私のルールにしたがって店を出ることにした。おつりの5円玉にはリボンが巻いてあった。久しぶりに「またお越しください」と言われて、素直にまた来ようと思えた。この店と何かのご縁があることを願いたい。私は別のバスの停留所の存在を思い出し、バスで帰る事ができた。ふと財布様が静かだと気がついた、財布様はお財布様に進化している真っ最中だった。(終わり)##あとがき##これを書いた日は、私の特徴が良く表れていた1日を過ごしたで詳しく書こうと思い、ついつい長くなってしまいました。長い文章を書くのがこんなに難しいですね。お世辞にも上手とは言えない文章になってしまいました。おそらく、私は小説家向きではないのでしょう。もし、コメント付けていただければ嬉しい限りです。もちろん、ダメ出しも大歓迎です。##予告##本日中に実家に帰る予定です。そのため、しばらく日記はケータイで更新するため、うまくできないかもしれませんがよろしくお願いいたします。東野圭吾さんの作品も引き続き紹介していく予定です。