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総合整体院 コンフォート

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絶食療法

絶食療法

その説明が平木医師からあった。

12日間の絶食、その間は水か番茶だけは一定量以上必ず飲み、栄養は毎日の点滴で補う。

合わせてその間主治医、看護師意外との接触は禁止、病室内だけで生活をする。

テレビ、ラジオ、新聞、読書、電話も一切禁止。

体力の消耗を防ぐため、なるべくベッドで安静を保つ。

入浴はシャワーのみ、歯ブラシも出血しやすいので使わない。




「筋力の低下はその後必ず回復する、奉功率は80%有り、途中熱が出たり、いろいろな症状が出る場合もあるが絶対に心配有りません、安心して私について来て下さい」

と彼は言った。



彼女は書いている。

私は初めて通告された「絶食療法」をにわかに信じることが出来なかったし、多くを期待してもいなかった。

信じるとか期待するとか、そういう積極的な精神活動に必要なエネルギーがもう充分に残っていないような感じでもあった。




空腹と退屈に耐えればいいのだろうと彼女は安易に思っていたそうだ。



彼女が絶食療法を了承すると、さっそく29日月曜日から開始と決まった。



平木医師以外5人の看護師がスタッフだった。




後日彼女が見せてもらった資料によると、



症例、出光静子・・主婦・・57歳(夏樹静子・・作家)

主訴、腰背部痛、座居立居の保持困難、倦怠感

病名、心因性生疼痛障害(心身症)




心身症PSD・・・

病気の診断、治療に身体面のみではなく、精神、心理面からの考察を必要とする疾病。

ex胃潰瘍

PSD患者取り扱い上の注意

1.治療体制に対する不安を解消してあげる。ex大丈夫です。経験があります。


2.患者絵の説明説得の発信元をDrに一本化しておく


3.受容(訴えをよく聴き、理解する)指示保証(exきっと元気になります)


4.スタッフ間の情報交換を密に行う。


5.スタッフが不安になり動揺しない事。


6.看護記録は患者の言葉で書く




心因性疼痛障害PPD

DSM3(アメリカの精神疾患の分類)による診断基準

A、重症で遷延した疼痛が優位な障害である。




B、一症例として現れる疼痛は、

神経系の解剖学的分布に従わないか、

精密検査の後でも原因となるような器質的病変ないし、病態生理的機序が見いだされ得ないか、ある程度関連する器質的な病変が存在する場合にも、疼痛の訴えがこのような身体的所見から期待されるものを非常に上回っているか、である。




C、心理的要因が病因的に疼痛とかかわると診断され、以下のうち少なくとも一項目によって  明らかにされる。

  ・心理的葛藤ないし欲求と明らかに関連する環境刺激と、疼痛の発現ないし憎悪との間の   時間的関係。

  ・疼痛によって患者が自分にとって有害な活動を避けることが可能になる事。

  ・疼痛によって患者が他の方法では獲得できないような支持を周囲から受けることが可能   になる事。




D、他の精神障害に起因しない事。



本症例に関して特に注意する事




  ・患者は著名な作家と、主婦という二つの顔を持っている。

   当院では主婦出光静子として取り扱う事。

  ・原因不明の疾患による「筋肉の衰え」という考えに固執していて、心身症としての理解   は不十分であるので当面無理に説得しない事。

  ・絶食療法についてはDrから説明するまで、スタッフから話さない事。

  ・別名あるまで行動制限は無く、自由にさせて置き、さりげなく観察する事。

96年1月29日1日目
私は激しい痛みで目が覚めた。
この日の痛みはことのほか激しかった。
とにかく痛いのですぐまたベッドに横になった。
平木医師から
「沢山の水を飲むように、2000ml以上飲めなかったときは点滴を2回しなければならない」
と言われ、10時から点滴が始まった。

私は腰中が噴火を始めたような、
近来にないほどの痛みに耐えながら腕を延ばしじっと耐えている。
再び診察に来た平木医師に彼女は
「気が変になりそう」
と訴えるも
「絶食療法の一つの症状で心配ない」
と答えた。
それから、絶食療法日誌を毎日就寝前にページ書くように言った。

その日の痛みを彼女は
「夜が更けるにつれて痛みはいよいよ激化して、じっと寝ていられなくなり、仰向けから左
を向き、うつ伏せになり、右を向き、また仰向けになり、5分おき位に体を動かせてはぐる
ぐる回っていた。眠るどころではない。今まで3年間痛みを抱えてきたわけだが、その中でこれほど猛烈に昼も夜も休みなく続いたことは初めてだった。私は長女を出産した、前夜の事を思い出いだした」

予定日を3週間過ぎ、陣痛が有ったのに胎児が全く降りてこなかった初産は最終的に帝王切開になったらしく、彼女は30年たったそのことをリアルに思い出したそうだ。

睡眠薬の注射を受けたにもかかららず彼女は一睡もできずに朝を迎えた。

翌朝彼女は平木医師に「これほどひどい療法とは思わなかった」と猛烈に抗議をした。
すると彼は「主訴の激化は必発」と言い。
「聞いてない」
と彼女が言うと
「絶食療法は厳しくて辛いものだ」
と平然としていた。

彼女は昨日の朝から続く苦痛をまたくどいほど彼に話、もうやめて帰ると言うつもりだったが、痛みの説明をしているうちに、スーッと波が引くようにその痛みが和らいできた。

「止めて帰る」という結論にたどり着く以前にすっかりその痛みは消えてしまった。

まるでそれを見透かしたように
「どうですか、療法を継続しますか、あなたが納得しなければ出来ない事ですから、どうぞご自分で決めて下さい」
と言った。

その晩も痛みがなく24時間痛みなく過ごせたのは近来にないことだった。
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ところが31日三日目の朝から再び鈍痛がぶり返してきた。


一日3回平木医師が訪問、340分のカウンセリングが行われ、その時彼女が痛みがぶり返したこと

を訴えると

「痛みが来たらじーっと熱いお湯につかっているみたいに、痛いな^と思いながら耐えて

下さい。受けとめて逃げ出さないのですこうやって必ず治るのだと自分に言い気かさえて

下さい。あなたの頭の中には、私はもう元の元気な身体に戻れないのではないか、という間違った

情報がインプットされている。それを塗り替えるのです」

と彼は言った。

 

療法に入って、彼は聴く事から積極的に指導するように変わっていった。


「あなたの人格の中で夏樹静子が占めている割合はどれくらいですか?」


「子供が小さいころ5060、発症時は7080、今は限りなく0

と彼女が答えると


「夏樹静子をとりはぶいたとして生きていけますか?」


「身体が元気になれば生きていけます」

 

「椅子に腰かけることからどんなことを連想しますか?」


「書く事、会食、乗り物の旅行・・・」


「みんな仕事がらみですね」

 

彼女が

「そんなことばかりしていたので、すっかり筋肉が弱くなって」

と言うと、


「いろんな知識を持つあなたがなぜいつまでも筋肉弱化に固執しているのですかね。

水泳を勧めた整形外科医も今ではメンタルの問題とおっしゃっておられるのでしょう。

心因を認めると何か心理的に都合の悪いことでもありますか?」

 

「とんでもない、私は病名など何でもいいのです。ただ、病名のカオ、様相としてどうしても筋肉

弱化と感じられるのと、心因が思い当たらない。心身相関と言うのが今一つ納得できないのです」

 

「心因は必ずしも自分で納得できるものばかりではありません」

 

「性格的なことも有ります。私は心の病に落ち居るほど純粋でないと自覚しています。

たとえば文章一つ書くのにも、最善の表現が見つからなければ次善を探り、さっさと妥協して楽な

道を歩いてきたような気がします。何かにつけ、病気になるまで自分を追いつめるほど不器用でも

純粋でもないのです」

 

すると

「あなたは自分で考えていらっしゃる以上に完全主義者だと僕は思います」

と彼は苦笑した。

 

昼間の鈍痛が続いたまま夜の10時ごろわずかにまどろんだ次の瞬間、どんと腰の奥にパイプでも撃

ち込まれたような衝撃感で、彼女は目を覚ました。


それは、

「絶食初日の夜以上の、三年間の痛みの集大成のごとき桁違いの苦痛」

だそうで、彼女は睡眠薬の注射を頼むも、看護師からの平木医師の返事は

「痛みを受け止めて我慢してください」

だった。


再び一睡もできなかった彼女は

「今度こそこんな療法は中止て帰ると断固心に誓った」


翌朝訪問した平木医師のカルテには


訪室するなり恨めしそうな目つきでDrを見上げ、憤懣をぶつけるような早口で

Drは心理的に修飾された痛みと言ったが、眠っていて突然痛くなったのだから修飾等し

ている暇はない。子の痛みは本物だと思うと、騙されたみたいで腹だしかった」

 

平木医師は

「この療法の特徴として、商用が波状的に表れてくるのです。症状は自動的、条件反射的に

形成されるようになります。この条件付けを取り除く方法が、痛みをそのまま受けとめるこ

となのです」

 

不満を言う夏樹氏に

「それにしても治療者を攻撃するエネルギーは相当なものですね。エネルギーの強い人ほ

ど痛みに敏感だし、怒りと痛みには密接な関係がありますからね。そりゃあさぞかし痛いだ

ろうと思います」

 

そうこう、彼女が平木氏に、抗議を続けていると、またしても波が引くように痛みは消えて

いった。

 

平木医師曰く

「偶然ではありません、カタルシスが行われているのです」

 

再び穏やかな時間が訪れた。

「絶食初日と、三日目の激痛、二日目と四日目の静けさは驚くばかりに対象だった」

と彼女は書いている。


「一種不可解な経験が始まりつつあった」

とも・・・









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