カテゴリ:カテゴリ未分類
前回の「車田のつぶやき」を書きましたのが2月18日(金)でした。
その際、「親しくなったエジプト人の友人と定期的に昼食を共にしたお決まりのレストランがタハリール広場の先にありましたので、よく大使館からタハリール広場をとことこ歩いて行きました。」と書きましたが、何と、今週その友人と10年ぶりの再会を果たしました。 彼(Hamed:ハーメッド)は、最初に会った1991年当時から某日本企業のエジプトの責任者をしていました。Hamedの活躍も功績大きく、その会社のエジプトでのビジネスは順調に拡大してきました。21日(月)にHamedの会社の本社にいる知人から「車田さん、Hamedが東京に戻ってきているよ」と連絡をもらい、お互い唯一都合のつく2月22日(火)の朝に朝食を一緒にしました。 私の書いた「タハリール広場」を自動翻訳した英文とともに渡し、「よくランチを食べたレストランがタハリール広場の先立ったよね」と言いますと、「そうそう」と懐かしそうにうなずいていました。 今回は、Hamedから聞いた話をもとに、エジプトの状況を続報します。 エジプトの騒乱のきっかけは小さなできごとでした。ドラッグ(当時から闇ではマリファナが流通しているとのうわさはありました)を押収した警察官たちが自分たちでこれを山分けしていることをネットにて伝えた若者が警察に逮捕され、拷問によって死んだことが出来事としては最初のきっかけでした。その追悼、抗議のデモが金曜日になされたところ、一般の人々の予想を超える規模の人々が、全国にて集まったとのことです。 このデモが、ムバラク辞任要求の民衆運動へと拡大しました。 デモが盛んになった当初、誰の指示かはいまだ分からないそうですが、交通整理や治安維持にあたっていた警官が突如としていなくなったとのことです。そこで店舗の襲撃・略奪も起き始めました。これに対して、Hamedの住んでいる地域含め全土で地域の住民が自主的に警護団を作って当番制にて自分たちの住んでいる地域の警備・治安維持に取り組みました。カイロの道には信号がありましたが、結構なものが機能していないため、警官が交通整理をして交差点の通行を確保していました。警官がいなくなったら交通マヒになりかねません。それを、いたる所で若者が自主的に交通整理を行ってさばいたとのことです。 想像しますに、国際世論の監視と圧力の下において、ムバラク辞任を求める民衆を武力にて排除することができないと判断した警察が、機能を停止することによってデモが社会不安をもたらすとの意識をエジプト人の間に醸成しようとしたのではないでしょうか。しかし、そのもくろみは、ムバラク辞任を願う広い層の人々の団結によって崩れたのです。 Hamedによりますと、ムバラク政権に対する民衆の反発には格差が生じたことへの怒りも強かったとのことです。ムバラクの次男のガマルが政府保有の銀行などの効率化を図るために欧米での企業経験豊富なエジプト人を経営者に任命したことについて、経営面での成果はあっても、欧米の給与水準をもとに招聘したため一般のエジプト人に比べて異常に高額の報酬となって、これが人々の反発を強く招いていたとのことです。 次の議会選出、大統領選出まではまだ何ヶ月かかかりそうですが、Hamedの表情は明るかったです。警察不在を助け合ってしのいだエジプト人。観光収入の減少で痛んだ経済を立て直そうと人々が動き出しているとのことです。 穏やかなエジプト人のことですから、賢明に、穏健な政治を確立することでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.02.25 20:16:30
|
|