コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~

2006/12/20(水)19:57

コンドルの系譜 第六話(137) 牙城クスコ

第6話 牙城クスコ(144)

そんな!!…――という衝撃が、コイユールの表情にハッキリと浮かび上がる。コイユールは、そのような己の反応を慌てて隠すように、さっと地面の方に視線を移した。その彼女の様子に、アンドレスの胸は締め付けられるように苦しくなる。 月明かりが地に引く己の影を、暫しの間、じっと見つめていたコイユールだったが、やがて思い切ったように顔を上げる。そして、意を決したように、アンドレスの苦しげな瞳を見つめた。しかし、すぐに耐え兼ねるように、再び、さっと視線をそらした。それから、小さな擦れた声で言う。 「アンドレス…どうか御武運を…!」「え…」「私…アンドレスが、最前線で、どんなに危険に晒されて戦っているか聞いているの…。どうか…どうか、命だけは…ね…アンドレス……」アンドレスの目の前で、今、声を詰まらせているコイユールは、まるで己の本心に固く蓋をして、相手の視線から逃がるかのように身を縮めたまま、小刻みに震えている。(コイユール…!!) コイユールが、彼女自身の感情よりも、あくまで、新たな戦地に向かう己の身を案じる言葉のみを並べるその姿に、アンドレスの心はかえって掻き乱された。悲しい、寂しい、不安だと言って泣いてもいいのに、健気(けなげ)にも気丈にこらえるコイユールの姿は、己が突き放してしまっていた数年間の帰結としての、埋め難い遠い距離の隔たりのごとくに…――甘えてはいけないと、己に受け留める度量無しと、暗黙に突き付けられているかのようにさえ感じさせる。 アンドレスも、無意識に視線をそらし、両拳を握り締めた。じっと目を伏せるようにして、うつむいているコイユールの脇で、アンドレスの横顔も苦渋に歪む。彼は、それから、頭を冷やすように上空を仰ぎ、深夜の森の冷気を吸い込んだ。そして、懸命に心を落ち着かせて、コイユールの方に再び向き直る。うつむくコイユールは唇をギュッと固く結び、やっと見開いた目元には険しささえも宿して、己の周りで次々と展開していく奔流に流されまいと、必死で足を踏み締め、耐え抜こうとしているかのように、アンドレスには見える。その姿は非常に健気で気丈であるのだが、それ以上に、あまりにも儚げで、痛々しい。 コイユールをこれほどに追い詰めている張本人は誰かと、己に剣を向ける心境のアンドレスの心も、また、その心臓が潰(つぶ)れそうなほどに痛んでいた。(だが…俺のことだけなのか…?コイユールの、この苦しそうな様子は…)深く打ちひしがれたようになっているコイユールを目前にして、その彼女の苦しみを除きたいと真剣に思えばこそ、今、アンドレスの頭は、ただ感情に流される状態を凌駕して、冷静さを手繰り寄せていく。 今度は、アンドレスの方が、じっと何かを読み取るようにコイユールを見た。実際、自分の此度の遠征の件は別としても、コイユールが、何かとても重いものを背負っているように見えてならない…――という直観が、アンドレスにはあった。(そういえば…あの時も…!)先日、ロレンソと共に歩む治療場の路上で、コイユールに偶然に鉢合わせたあの時、彼女の目が懸命に何かを訴えようとしているように見えたことを、今、アンドレスは鮮明に想起する。 (コイユールにも、何かあったんだ…!)そう確信して見入るアンドレスの目は、コイユールの瞳の奥に、何か、まるで叫ぶかのような色が潜んでいるのを鋭くとらえる。「コイユール…君の方こそ、何かあったのでは?」コイユールの目が、再び、大きく見開かれた。「…!!」「コイユール、何があったのか、話してごらん。どんなことでも!」アンドレスが、誠意溢れる声で言う。コイユールは、トゥパク・アマルの治療中に見た不吉な予言的光景のことと、そして、トゥパク・アマルの『誰にも言ってはいけない』という言葉を噛み締めたまま、言葉を発せずに立ち尽くす。  ◆◇◆◇◆Information◆◇◆◇◆『インカの野生蘭』: トゥパク・アマルやアンドレスが活躍したアンデスの森に、今も人知れず咲いている神秘の花たち…――アンデスやアマゾンを30年以上彷徨する写真家、高野潤氏の最新作。お薦めです!!著者/訳者名高野潤/著出版社名新潮社 (ISBN:4-10-301571-3)発行年月2006年08月サイズ207P 22cm価格 2,940円(税込) ◆◇◆はじめて、または、久々の読者様へ◆◇◆ 現在のストーリーの流れ(概略)は、こちらをどうぞ。ホームページ(本館)へは、下記のバナーよりどうぞ。ランキングに参加しています。お気に入り頂けたら、クリックして投票して頂けると励みになります。(月1回有効)     (随時)

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