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ふわふわ卵

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2008年10月16日
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カテゴリ:街ある記
ネットで存在を知ってから、行って見たいと思っていた場所でした。
生麦事件参考館。あまりに印象が強くて、アップするのが遅くなりました。
個人で管理されていらっしゃるので、事前に連絡が必要です。あらかじめお電話してからうかがいました。
京浜急行生麦駅から、すぐ近く、早く着いてしまったので、館の前のベンチで、友人Mさんとガイドブックなぞひろげていましたら、館長の浅海氏が出てこられて、「なんだ、早く入ってればいいのに。」と早くに開けてくださいました。「あ、それ、僕が書いたんですよ。」とおっしゃるので、ふと、読んでいた「天璋院篤姫ガイドブック」(新人物往来社)を確認すると、なんと同本の中の「ドキュメント生麦事件」は、氏の書かれたものでした。びっくり!!

館の中には、事件に関する資料がぎっしり展示されていて、氏の講演会のビデオを見ながら、「あ、この資料がそれなのね。」と確認しながら、見ていきました。

真っ先に目についたのは、この事件の死亡者、リチャードソン氏の遺体の写真です。
確か、ヒュースケン氏の暗殺後も、遺体の写真が撮られていました。外国では、そういう慣習があるのでしょうか。

地元ならではの資料だなあ、と感じいったのは、臓腑を落としながら逃走していたリチャードソンに海江田武次がとどめを刺した(これは、もう、助からないだろうから楽にしてやろうという思いで)様子を見ていた大工の女房よしから名主が聞き書きした「御用留」でした。
全文は読めませんが、「異人」など、ところどころは読めるので、当時の様子が思い浮かびました。

しかし、資料の数々もさることながら、一番印象に残ったのは、館長の浅海氏のお話でして、ビデオで拝見した講演の様子も、わかりやすくおもしろかったのですが、実際に、話してくださった数々のエピソードが、まるで、ごらんになっていたように具体的で、興味深かったです。
ここにいくつかご紹介しますね。

・この事件で、幕府がイギリスに払った金額は、現在のお金にして訳150億円なのですが、千両箱にして220箱あまり。これを、運んだのは、力士であったこと。

・薩摩は、最初、賠償金を払う気がなかったのですが、イギリスの力を見せられて、払うことになり、それを幕府から借金したのですが、返済期限が250年だったこと。まだ、100年残ってる(笑)。

・リチャードソンは、乗船予定の船の出発が遅れて、たまたま知り合いと川崎大師に観光に行ったため、この事件に遭遇してしまったこと。

浅海氏は、参考館を開くために、自ら、大学で勉強を重ねられたようで、もう、いろんな知識が、あふれるように飛び出してきて、勉強になった、というより、ほんとに、ただただ楽しかったです。
リチャードソンは、事件当事者の墓は、横浜の外人墓地にあるのですが、かなり古くなっていて、氏が自費で、新しくされたというのも、驚きました。

浅海氏は、「その時歴史が動いた」に出演されたり、大河ドラマ「篤姫」では、生麦事件の時の監修もなさったとか、講演依頼やら、取材やら、忙しくお過ごしのようでしたのに、隣接の「お酒の博物館」にも案内してくださり、ほんとにいろんなお話を聞かせてくださいました。

そうそう、館内に、作家の故吉村昭氏が来館されたときの写真があったのですが、来館どころか、ずいぶん通われてみえたとか、田辺聖子氏や、杉本苑子氏も、訪れたようです。

ほんとに、濃密なひとときで、次回、訪れたら、又、新たなエピソードが伺えるかなあと楽しみになりました。ありがとうございました。

100OLYMP-PA160316_PA160316.JPG


帰りに、実際に事件があった場所も訪れたのですが、こちらは、今は個人の住宅になっていて、門前に、説明の書かれた看板があるだけで、当時の面影は皆無でした。





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最終更新日  2008年10月16日 19時08分53秒
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