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カテゴリ:写真(詩句・心象)
今日は、正岡子規の俳句を ひとつ。 心ひかれる一句です。 鶏頭の 十四五本も ありぬべし
“在ること”の意味、“在ること”の価値 パチリと存在感が写しとられているような、ドラマ効果のある写生句ですね。
私たち日本民は、自然の姿に“存在”を気取る力に優れた民族でした。 そうして、自然とともに生きてきたのですもの。 この場合、 単に、『存在する鶏頭』ではありません。 『鶏頭という存在』意義をまとった『鶏頭』です。 つまり、
“ 存 在 感 ”
不治の病を患う俳人は、とりわけ敏感に命のオーラを感じたのでは・・・ ・・そう想うと、こちらも感じ入ります。 **** あ、 以前、TVドラマで描かれていた子規の葬儀のようすが目に浮かんできました。 涙のうちに葬儀が進み、いよいよお別れの場面で、 しゅくしゅくと、手際よく。 いくつもの紅い鶏頭の花が、みなの手で棺に入れられ、 子規の遺体を彩っていく―― : このシーンが実話か創作か? わかりません。 なのに、 ケイトウの“命”が、子規の“いのち”と折り重なって、、 また、 死の何年か前に詠まれた この俳句が、 俳人・子規の想いの強さに引っ張られるようでした。 肉体を離れし故人のたましいが、自分の葬式を眺めていたらどうだろう ? 眺めながら、彼が句を詠んでいたらば ?? :
鶏頭の 十四五本も ありぬべし
**** 正岡子規の苛烈な闘病を可能にしたのは、彼の心の在り方だったのか。。 そして、自然界の命のエネルギーを感じ、受け取る力に優れていたため。。 私たちって、自然の命のオーラを感ずることがあるでしょう? 天の恵みです。 遠慮なく受け取りましょう。 ・ うまく感受するには、コツがあります。 それは^^ね 正面から受け取ること。 そうすれば、エネルギーが調和的に循環します。 絡め手から奪い取ると台無しになるんです。 陰から かすめとれば消費されるのみで、循環・交換(交感)できません。 やがて、枯渇することに・・・ 相手が人の場合も同じ法則が働きます。 素直にまっすぐが「鍵」ね。 もう一つは、 自ら周りに築いている見えない壁を取り除くとよいでしょう。
ナチュラルな自分であれかし!
こちらは園芸品種のノゲイトウです
こ~んなノゲイトウもありました。 うにゅうにゅ~ クネクネ~~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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