マムの素 * 青カバ・ウィリアムはかく語る

2009/11/22(日)11:09

見仏紀行9 東大寺3 俊乗堂・菩提僊那上人・上原三千代

三輪途道先生(16)

1月12日午後 さあて東大寺境内どこ行っこかなぁ! ・・・よっしゃぁ、ご案内しましょっ。 俊乗堂 じゃぁ、皆さんがまったく興味ないであろう、 「上原三千代」を訪ねて俊乗堂・・・の巻き *断っておきますが、完全にマムワールドですから~! コホンッ。 さてなにから説明いたしましょう。 四聖御影(ししょうみえ)をご存知ですか? ↓ 聖武天皇の周りに、大仏開眼の導師・菩提僊那(ぼだいせんな)上人や、 お寄付を募った行基菩薩(ぼさつ)、東大寺初代別当・良弁(ろうべん)僧正 が座っておいでです。この4人なくして東大寺あるいは大仏様はなかった わけです。よってこの方々は東大寺にとってもっとも尊い方々なんですね。 聖武天皇の肖像彫刻は聖武天皇殿、行基さんは行基堂、良弁さんは開山堂 に安置されていますが、天竺(インド)からこられた碧眼の菩提僊那上人 (ぼだいせんなしょうにん)だけは、肖像彫刻が造られてなかったのです。 話をころりとかえましょう。上原三千代先生のことです。 先生は現代具象彫刻家で、現在は三輪途道(みわみちよ)と 改名されています。 上原先生は東京藝術大学大学院にてお仏像の修復保全を学ばれ その修了制作に俊乗房重源上人坐像の模倣彫刻をされたました。 この重源坐像は俊乗堂に安置されており、秘仏とされています。 年2回、7月と12月の2日間のみ公開されるのです。 上原先生は彫刻の道具を抱えてこのお堂におもむかれて 堂守のおばちゃんに「彫刻をさせてほしい」旨を言われます。 おばちゃんは、てっきり2、3日の話とおもわれて了承されます。 が、 上原先生は来る日も来る日もお堂にの裏にて摸刻をされるわけです。 当然、東大寺のお坊さんの間でも上原先生のことはうわさとなり、 最終的には東大寺の粋なはからいによって「許可」がおりたのです。 これは本物の重源上人坐像 国宝 重源上人坐像 (ちょうげんしょうにんざぞう)  木造・彩色 像高81.8cm 鎌倉時代(13世紀) 奈良・東大寺 上原先生の重源上人坐像摸刻は それはみごとです。 マムは俊乗堂に安置されている 慶派(運慶の流れ)の作といわれる 重源さんも、そして上原先生作も この目でしかと観ています。 上原先生のお作の出来栄えは のよさは、現在、そのお作が東大寺に 安置されていることで瞭然です。 この摸刻は現在は本坊の写経場の 床の間に安置されています。 俊乗堂裏手 この俊乗堂の裏で毎日毎日、上原先生が 彫刻をなさっていたわけです。 先生はお金が心細くなると東京にもどられて アルバイトをされて、また奈良にもどるという 生活をされました。 この俊乗堂裏手はマムには、とっても大切な場所なのね。 さてさて、菩提僊那上人のお話にもどりましょう。 四聖の中でおひとり肖像彫刻のなかった、 天竺よりおいでになった菩提僊那上人の彫刻を 東大寺さんは、なんとうら若き、上原三千代さんに 依頼されたのです。 多くの仏師がいるなかで、仏師ではない 現代具象彫刻家の30そこそこの女性に託された わけです。 東大寺が新しくお仏像さんをお造りになるのは なんと300年ぶりだったのですよ。 上原先生、現三輪途道先生は、 後世に残る大仕事をされたにもかかわらず 気さくでちっとも偉ぶらず、群馬の 田舎で活動をされています。 上原三千代作 菩提僊那上人は現在 聖武天皇殿に安置されており 1年に1日。5月2日の午前中のみ 拝観が可能です。 ご清聴ありがとうございます。 ペコリ *上原先生が俊乗堂裏で彫刻をされている写真はコチラです *以前のマムの上原先生についての日記 11日 愛知・瀧山寺→宇治・平等院→京都・東寺→奈良・夜の興福寺 12日 奈良多武峰・談山神社→桜井・聖林寺→桜井・安倍文殊院→ 東大寺トイレ→東大寺戒壇院、中央アジア様式甲冑

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る