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クリームな日々

クリームな日々

坊ちゃんのことby碧猫さん

7周年が過ぎ
 7年前の12月29日、小さい縞々のお嬢さんが、我が家の一員に加わった。

 当初の彼女に関しては過去記事で何度か言及したかと思うが、人間が怖くてたまらない野生児で、最初の最初は、坊ちゃん相手ですらお互いにふーしゃー言ってたので、なじんでくれるかと本気で心配したが、先住猫の坊ちゃんの方が先に受け入れた。最初は隠れ家に提供した箱に引きこもっていた彼女は、4日目には引きこもりを止めて居室の探検を始め、5日目から坊ちゃんと一緒にコタツ生活を楽しみ初め、2週間もしないうちに坊ちゃんと毛繕いのしあいを始めた。


【続きを閉じる】
 猫同士はともかく、人間に怖い目にあわされた経験をもつらしい彼女は、家族になった人間でも当初はやっぱり怖かった。人間が座っている間ならすぐ傍に寄り添いに来るようになってからも、人間が所用で経つ度にあたふたと逃げ惑う。尻尾を垂らした姿勢の低い匍匐前進で逃げていく彼女を見ながら、下僕はもの悲しい思いに駆られていた。だが、いつの頃からだったろう、やっぱり逃げていく彼女の後ろ姿が、尻尾が真上にピンと伸び、姿勢を低くすることなく軽やかな足取りでとことこ走ってることに気づいたのは。
 あるいは、当初、彼女の名前を呼んでも無反応だった。そうこうする内に、彼女は自分の名を聞き分けて、呼ぶと返事をするようになった。それでも、坊ちゃんと違って名を呼ぶと来る猫ではなかったが、この前、台所に立って鶏肉を処理していると切れっ端がでた時の事。料理に加えるにはかけら過ぎたので彼女にあげようとお皿に入れて、特に声を張らずに、つぶやきより少し声が大きい程度で彼女の名を呼んだ。多分聞こえないだろうな、と思いつつ。だが、予想は外れた。ズドドドとしか表現のしようのない、落下音のような音が猫塔方向から聞こえ、彼女が駆け寄ってきたので唖然とした。確かに、私が台所に立っている時に、ちょくちょく、彼女に分け前を上げたことは、これまでにもあったのではあるが。

 7年、彼女が縞々の師兄について修行した母富母富拳その他スキルの成果は結実しているのだな、と改めて思った。


 7月頃だったろうか、どこかで見ていた猫関連のエントリで、自分ちの猫が亡くなる数ヶ月前に、それまでよりも甘えるようになったと書いてあるのを見かけて、微妙に嫌な気分になった。目の前には、それまでより甘えるようになっている坊ちゃんがいた。
 振り返るとこのブログでも、10月頃のエントリで坊ちゃんの痩せが気になるという記述をしていた。11月頃には、坊ちゃんの痩せは、それまでと変わらない量を食べているはずなのに更に進行していた。一回の食事量を片付けるのに非常に時間がかかるようになり、お気に入りのトッピングをかけて誤魔化しながら何とか食べてもらっていたが、12月に入った頃には、それでも残すようになっていたので、残した分を強制給餌に切り替えた。強制給餌といっても普段の食事をバーミックスにかけてペースト状にし、膝にだっこして経口投与器で口に入れるので、自分で咀嚼して飲み込む強制度の高くない強制給餌だ。そして、甘え下手の坊ちゃんはこの強制給餌がどうやら好きらしく、準備して坊ちゃんの寝てるところに行ったらしっかり待ってるぐらいのもんだった。2009年の5月頃に、歯が抜けて食欲を無くした時もこの強制給餌で乗り切ることができた。今度もしばらく強制給餌して、体調が戻ってくれるといいなと期待をしていた。だが、量はそれまでと変わらない量を強制給餌され、排泄も順調にもかかわらず、骨格標本に皮を被せたような激痩せ状態まで進行していた。

 29日の朝、いつもは口に入れたペーストをぱくぱくと飲み込む坊ちゃんが飲み込みたがらずにやたらとこぼし、何時もの量よりはるかに少ない時点で、口を引き結んで閉じて頑張るようになったので、その回はそれ以上の無理強いは断念した。そしてその夜、仕事から帰宅して見たものは複数の吐き痕と、脱水状態に陥りながら隅っこに入り込んで鳴いている坊ちゃんだった。

 皮下点滴や注射の一連の処置後、脱水状態は脱して普段の表情で眠りにつき、口からブドウ糖液や薄い食事もとって一旦は落ち着いたように見えたが、10数時間後に飲んだものとそれ以上量の嘔吐をした。再処置は繰り返したが、状態は改善しなかった。


~
 彼は、目の開く前に捨てられていた子猫だったと聞いている。人口哺乳で育ててもらったものの、体は弱かったそうで、しょっちゅうお腹は下し、きっちり鼻風邪にもかかり、疥癬まで持っていたそうだ。彼との初対面はその頃だったが、下痢で臭くなってる、やせっぽちの小汚い子猫だった。それでもやたらと可愛くてこの時点で一目惚れしており、後に彼の引き取りの打診があった時には即座に私が受けて家族を説得した。
 うちの子になってからも、尿路結石はやったし、7歳ぐらい以降は肝臓関係の血液検査データが原因不明の異常な高値を示し続けた。彼の健康状態を知る誰もが、彼を「体の弱い猫」と呼び、長生きはしないだろうと言っていた。

  7年前に肝臓が極度に悪化した。この時、彼を失う覚悟はしたが、それでも彼にもう何年か私に付き合って欲しいと「お願い」した。私が「お願い」すると、彼は結構(臍天とか)聞いてくれる子だったから。そして、彼は「お願い」を聞いてくれた。彼が生還した後、かかっていた獣医さんは「あの状態からなんで生き返るんだ?」と言ってたものだ。その後、私の引っ越しなどで別の獣医さんにかかる機会は何度かあったが、どの獣医師も、彼の肝臓関係の異常な血液検査データ高値を改善させる手段を示すことはできなかった。できるのは、食事に気をつけること、ぐらいだったので、そうしてきた。

 この、7年前の彼の生還後、彼の健康状態が回復してから、お嬢が家族の一員に加わった。もう何年か私に付き合ってくれるつもりになったらしい坊ちゃんだったが、この時の自分の精神状態を点検するに、来るべき時を迎える時には、彼の後を引き継いでくれる猫が絶対必要だと予想できた。だから、お嬢を召還し、到着したのが 29日だった。
~


 自宅療養が基本である類の処置では彼の状態は改善しなかった。最初は嬉しそうに自主的に飲んだブドウ糖液も拒否するようになった。入院して静脈点滴しながら注射うちまくりといった選択肢もない訳ではなかった。しかし、人に換算すれば80~100歳ぐらいになってしまう18年をすぎた歳、ずっと抱えている肝臓の不調持ち、こういう点では猫らしく獣医院通いなんて大嫌い、健康預かりだって外泊まっぴらの彼だ。刺したりなんやかやの処置が不快でないはずがない。ここしばらくの状態からしても、それを彼に強いたところで年単位の時間を稼げるとは考えられなかった。11歳だった前回とは違う。

 30日夜で処置は打ち切った。その後は、今まで暮らしていた自宅で、付き添って言葉をかけながら撫でて過ごした。それが「その時」を待つ事に他ならないと決断した後に気づいて、無性に何かしたくなったが、それが自己満足でしかないことは彼の経緯から判断できた。彼に、意味を正確にやりとりできる言語で意見を訊けたとしても、住み慣れた我が家から離れ、家族が24時間付き添える訳でない入院状態で注射や点滴しまくってくれとは言わないだろう。
 少し不安があったのは、私が付き添うことが彼にはうざいんじゃ無かろうかという点ではあったが、すでに立てなくなり寝返りもうてなくなっていた彼はそれでもトイレには行きたがったし、嘔吐の時に介助の必要もあったし、仕方ないよなと思ってた。片手を彼の枕に提供し、もう片手でMacを操作してネットで気を紛らわせていたら、いつの間にか30日と31日は過ぎた。眠っている彼の側をほとんど離れずに過ごしていたが、31日にさすがに空腹が堪えて、それまでの不在より少し長めに側を離れて蕎麦を作って喰って戻ると、目を閉じて眠っていたはずの彼が目を開けていた。話しかけながら手枕を提供すると、彼は目を閉じて眠り込んだ。普通に眠りこけている時と変わらない穏やかな表情に、今にも、いつも通りに起き上がって御飯は?と言い出しそうに思えてならなかった。

 1日になった。それまでに彼の状態がゆっくり進行しているのは解っていた。中天に上っていた太陽の光が、窓から彼の寝ているところまで差し込んできてた。彼の師妹の名が日光を意味することを思い出しながら、照らされている彼の毛皮の毛艶の良さに、処置を再開したらもしかして…の何度目かの迷いが浮かんだ時に、「その時」が来た。



 18年と5ヶ月ほど。「齋藤式」なる猫の年齢換算によると、人なら100歳ほどになるらしい。

 ずっと体が弱いといわれてた彼としては、精一杯頑張ってくれたのだろうとは思う。今の時期でなければ、付き添うこともままならなくて私に悔いが残ったかも、とも。でもやっぱり、18年をともに過ごした存在が今傍らにいない事実は、ふとしたきっかけで感情の堰が切れるほどには重い。今、君が傍にいないことはとても哀しくて寂しいけど、長い時を私に付き合ってくれて本当にありがたかった。ありがとう。

2010年10月10日撮影





 彼へ、ではなく手を伸ばした先に、もふもふできる、暖かい中身の詰まった柔らかい毛皮があることがしみじみありがたかった。やはり、君に我が家に来ておいてもらってよかった。


______________________________________

 新年早々に、こういったエントリを上げるのは憚られ、何本か別の話題のエントリを上げた後に、できるだけさりげなくお知らせしようかとも思ったのですが。どうにも他の話題を書くことができず、まずはこの件に言及して整理を付けた上で、次に進ませていただこうと考えた次第です。
 故猫の生前にいただきましたご愛顧に深く感謝します。


 なお、当エントリのコメント欄は申し訳ありませんが閉鎖させていただいています。このエントリそのものも、もしかしたらしばらく後に非公開にするかもしれませんが、あらかじめご了承ください。


 「可愛い」の業務を引き継いだ彼の師妹は、彼とは違った個性の持ち主ですが、椅子に座っていても飛び乗ってきてモフモフ療法を配達する、優秀な母富母富拳の遣い手に成長していました。看病中にお嬢をほったらかしにした反動もあって、ただいま絶賛ベタ甘え中で需要と供給が噛み合っているところです。
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 猫同士はともかく、人間に怖い目にあわされた経験をもつらしい彼女は、家族になった人間でも当初はやっぱり怖かった。人間が座っている間ならすぐ傍に寄り添いに来るようになってからも、人間が所用で経つ度にあたふたと逃げ惑う。尻尾を垂らした姿勢の低い匍匐前進で逃げていく彼女を見ながら、下僕はもの悲しい思いに駆られていた。だが、いつの頃からだったろう、やっぱり逃げていく彼女の後ろ姿が、尻尾が真上にピンと伸び、姿勢を低くすることなく軽やかな足取りでとことこ走ってることに気づいたのは。
 あるいは、当初、彼女の名前を呼んでも無反応だった。そうこうする内に、彼女は自分の名を聞き分けて、呼ぶと返事をするようになった。それでも、坊ちゃんと違って名を呼ぶと来る猫ではなかったが、この前、台所に立って鶏肉を処理していると切れっ端がでた時の事。料理に加えるにはかけら過ぎたので彼女にあげようとお皿に入れて、特に声を張らずに、つぶやきより少し声が大きい程度で彼女の名を呼んだ。多分聞こえないだろうな、と思いつつ。だが、予想は外れた。ズドドドとしか表現のしようのない、落下音のような音が猫塔方向から聞こえ、彼女が駆け寄ってきたので唖然とした。確かに、私が台所に立っている時に、ちょくちょく、彼女に分け前を上げたことは、これまでにもあったのではあるが。

 7年、彼女が縞々の師兄について修行した母富母富拳その他スキルの成果は結実しているのだな、と改めて思った。


 7月頃だったろうか、どこかで見ていた猫関連のエントリで、自分ちの猫が亡くなる数ヶ月前に、それまでよりも甘えるようになったと書いてあるのを見かけて、微妙に嫌な気分になった。目の前には、それまでより甘えるようになっている坊ちゃんがいた。
 振り返るとこのブログでも、10月頃のエントリで坊ちゃんの痩せが気になるという記述をしていた。11月頃には、坊ちゃんの痩せは、それまでと変わらない量を食べているはずなのに更に進行していた。一回の食事量を片付けるのに非常に時間がかかるようになり、お気に入りのトッピングをかけて誤魔化しながら何とか食べてもらっていたが、12月に入った頃には、それでも残すようになっていたので、残した分を強制給餌に切り替えた。強制給餌といっても普段の食事をバーミックスにかけてペースト状にし、膝にだっこして経口投与器で口に入れるので、自分で咀嚼して飲み込む強制度の高くない強制給餌だ。そして、甘え下手の坊ちゃんはこの強制給餌がどうやら好きらしく、準備して坊ちゃんの寝てるところに行ったらしっかり待ってるぐらいのもんだった。2009年の5月頃に、歯が抜けて食欲を無くした時もこの強制給餌で乗り切ることができた。今度もしばらく強制給餌して、体調が戻ってくれるといいなと期待をしていた。だが、量はそれまでと変わらない量を強制給餌され、排泄も順調にもかかわらず、骨格標本に皮を被せたような激痩せ状態まで進行していた。

 29日の朝、いつもは口に入れたペーストをぱくぱくと飲み込む坊ちゃんが飲み込みたがらずにやたらとこぼし、何時もの量よりはるかに少ない時点で、口を引き結んで閉じて頑張るようになったので、その回はそれ以上の無理強いは断念した。そしてその夜、仕事から帰宅して見たものは複数の吐き痕と、脱水状態に陥りながら隅っこに入り込んで鳴いている坊ちゃんだった。

 皮下点滴や注射の一連の処置後、脱水状態は脱して普段の表情で眠りにつき、口からブドウ糖液や薄い食事もとって一旦は落ち着いたように見えたが、10数時間後に飲んだものとそれ以上量の嘔吐をした。再処置は繰り返したが、状態は改善しなかった。


~
 彼は、目の開く前に捨てられていた子猫だったと聞いている。人口哺乳で育ててもらったものの、体は弱かったそうで、しょっちゅうお腹は下し、きっちり鼻風邪にもかかり、疥癬まで持っていたそうだ。彼との初対面はその頃だったが、下痢で臭くなってる、やせっぽちの小汚い子猫だった。それでもやたらと可愛くてこの時点で一目惚れしており、後に彼の引き取りの打診があった時には即座に私が受けて家族を説得した。
 うちの子になってからも、尿路結石はやったし、7歳ぐらい以降は肝臓関係の血液検査データが原因不明の異常な高値を示し続けた。彼の健康状態を知る誰もが、彼を「体の弱い猫」と呼び、長生きはしないだろうと言っていた。

  7年前に肝臓が極度に悪化した。この時、彼を失う覚悟はしたが、それでも彼にもう何年か私に付き合って欲しいと「お願い」した。私が「お願い」すると、彼は結構(臍天とか)聞いてくれる子だったから。そして、彼は「お願い」を聞いてくれた。彼が生還した後、かかっていた獣医さんは「あの状態からなんで生き返るんだ?」と言ってたものだ。その後、私の引っ越しなどで別の獣医さんにかかる機会は何度かあったが、どの獣医師も、彼の肝臓関係の異常な血液検査データ高値を改善させる手段を示すことはできなかった。できるのは、食事に気をつけること、ぐらいだったので、そうしてきた。

 この、7年前の彼の生還後、彼の健康状態が回復してから、お嬢が家族の一員に加わった。もう何年か私に付き合ってくれるつもりになったらしい坊ちゃんだったが、この時の自分の精神状態を点検するに、来るべき時を迎える時には、彼の後を引き継いでくれる猫が絶対必要だと予想できた。だから、お嬢を召還し、到着したのが 29日だった。
~


 自宅療養が基本である類の処置では彼の状態は改善しなかった。最初は嬉しそうに自主的に飲んだブドウ糖液も拒否するようになった。入院して静脈点滴しながら注射うちまくりといった選択肢もない訳ではなかった。しかし、人に換算すれば80~100歳ぐらいになってしまう18年をすぎた歳、ずっと抱えている肝臓の不調持ち、こういう点では猫らしく獣医院通いなんて大嫌い、健康預かりだって外泊まっぴらの彼だ。刺したりなんやかやの処置が不快でないはずがない。ここしばらくの状態からしても、それを彼に強いたところで年単位の時間を稼げるとは考えられなかった。11歳だった前回とは違う。

 30日夜で処置は打ち切った。その後は、今まで暮らしていた自宅で、付き添って言葉をかけながら撫でて過ごした。それが「その時」を待つ事に他ならないと決断した後に気づいて、無性に何かしたくなったが、それが自己満足でしかないことは彼の経緯から判断できた。彼に、意味を正確にやりとりできる言語で意見を訊けたとしても、住み慣れた我が家から離れ、家族が24時間付き添える訳でない入院状態で注射や点滴しまくってくれとは言わないだろう。
 少し不安があったのは、私が付き添うことが彼にはうざいんじゃ無かろうかという点ではあったが、すでに立てなくなり寝返りもうてなくなっていた彼はそれでもトイレには行きたがったし、嘔吐の時に介助の必要もあったし、仕方ないよなと思ってた。片手を彼の枕に提供し、もう片手でMacを操作してネットで気を紛らわせていたら、いつの間にか30日と31日は過ぎた。眠っている彼の側をほとんど離れずに過ごしていたが、31日にさすがに空腹が堪えて、それまでの不在より少し長めに側を離れて蕎麦を作って喰って戻ると、目を閉じて眠っていたはずの彼が目を開けていた。話しかけながら手枕を提供すると、彼は目を閉じて眠り込んだ。普通に眠りこけている時と変わらない穏やかな表情に、今にも、いつも通りに起き上がって御飯は?と言い出しそうに思えてならなかった。

 1日になった。それまでに彼の状態がゆっくり進行しているのは解っていた。中天に上っていた太陽の光が、窓から彼の寝ているところまで差し込んできてた。彼の師妹の名が日光を意味することを思い出しながら、照らされている彼の毛皮の毛艶の良さに、処置を再開したらもしかして…の何度目かの迷いが浮かんだ時に、「その時」が来た。



 18年と5ヶ月ほど。「齋藤式」なる猫の年齢換算によると、人なら100歳ほどになるらしい。

 ずっと体が弱いといわれてた彼としては、精一杯頑張ってくれたのだろうとは思う。今の時期でなければ、付き添うこともままならなくて私に悔いが残ったかも、とも。でもやっぱり、18年をともに過ごした存在が今傍らにいない事実は、ふとしたきっかけで感情の堰が切れるほどには重い。今、君が傍にいないことはとても哀しくて寂しいけど、長い時を私に付き合ってくれて本当にありがたかった。ありがとう。

2010年10月10日撮影





 彼へ、ではなく手を伸ばした先に、もふもふできる、暖かい中身の詰まった柔らかい毛皮があることがしみじみありがたかった。やはり、君に我が家に来ておいてもらってよかった。


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 新年早々に、こういったエントリを上げるのは憚られ、何本か別の話題のエントリを上げた後に、できるだけさりげなくお知らせしようかとも思ったのですが。どうにも他の話題を書くことができず、まずはこの件に言及して整理を付けた上で、次に進ませていただこうと考えた次第です。
 故猫の生前にいただきましたご愛顧に深く感謝します。


 なお、当エントリのコメント欄は申し訳ありませんが閉鎖させていただいています。このエントリそのものも、もしかしたらしばらく後に非公開にするかもしれませんが、あらかじめご了承ください。


 「可愛い」の業務を引き継いだ彼の師妹は、彼とは違った個性の持ち主ですが、椅子に座っていても飛び乗ってきてモフモフ療法を配達する、優秀な母富母富拳の遣い手に成長していました。看病中にお嬢をほったらかしにした反動もあって、ただいま絶賛ベタ甘え中で需要と供給が噛み合っているところです。
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[ 2011/01/03 12:11 ] 猫便り | トラックバック(-) | コメント(-)



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