カテゴリ:馬学
日本馬がまるで野球選手のように普通に海外遠征する時代。
いい時代だとつくづく思うとき、いつも戦時中、厩務員だったという、近所のお爺さんが教えてくれた話を思い出します。 お爺さんが厩務員になったのは戦前ですが、すぐに太平洋戦争に。 戦中~戦後、人間も食べるのに困っている状態だから、馬たちのカイバも2、3升もらえたら上等。 半升どころか、カイバなしの日も少なくなくって、お腹を空かせた馬たちは、放牧させたらもう雑草でも木の皮なんでも食べていたそうです。 お爺さんは痩せこけた馬たちがあんまり可愛そうだったので、軽トラックにのって農家やってる福島の実家に帰省し、親類縁者をはじめ近所のリンゴ農家を回り、傷みかけや割れて出荷できないリンゴをかき集めようとしたそうです。 「半端もののリンゴありませんか?」 頭下げて回って、農家の人だって切羽詰まってる時代だから、乞食となじられ怒鳴られ、水かけられたり、正直に「馬に喰わせてやりたい」と言ったら殴られたり・・・・ 嫌な思いもいっぱいしたけど、馬たちのためだと思ったら苦にはならなかったと言っていました。 そんな中で、田舎で一番の大農家の主が 「自分の祖父も父も馬で田畑を耕してここまでなった。 自分も含め、馬には三代の恩がある。 半端ものといわず甘いリンゴを持っていってやれ。 うまいリンゴ食わせてやれ。」 と言ってくれたそうです。 それは今までの人生で一番ありがたい言葉だった、今でも地主さんの言葉をそっくりそのまま思い出す、と言っていました。 だけど、目の前にきれいなリンゴを見ると、馬と同じようにひもじい思いをしている他の人々のことが思い浮かび、どうしても手をつけられなかったそうです。 大農家の主は「それならお前さんが食いなさい」と風呂敷に十個ほどの上等なリンゴを包んでくれたそうです。 傷みかけているリンゴが本当に腐ってしまわないように、一睡もせずトラックを夜通し走らせて福島から厩舎へ。 今のように高速も無い時代の話です。 そうしてお爺さんが寝ずに持って帰った半分傷んだリンゴを、馬たちはそれはもうすごい勢いで実においしそうに食べて「うまい、うまい」という顔をしていたそうです。 なんと、馬たちの中には、生まれて初めてリンゴを食べた馬がほとんどだったそうです。 そんな時代だったんですね。 さぞかしおいしかったことでしょう。 あんまり嬉しそうにリンゴを食べるの馬たちを見て・・・かえって不憫で可哀想で、お爺さんは思わず「すまない、すまない」とぼろぼろ泣いてしまったそうです。 風呂敷包みのリンゴは、地主さんが自分のためとくれたリンゴ。 義理堅く一口だけかじって、残りは全部馬たちにあげてしまいました。 一口食べたリンゴは、それは夢のように甘くて、美味しくて・・・ 自分の馬たちにこんな美味しいリンゴをくださって・・・ ありがたくって、ありがたくって・・・ また涙が出てきて、思わず福島の方に手を合わせてしまったそうです。 私が馬や競馬を好きになったのは、このお爺さんの影響が大です。 他にも馬や牧場、競馬のいろんな話を聞きました。 その中でもリンゴの話は私が子供のころ何度も聞かされましたが、その話をするとき、お爺さんはいつも目に涙浮かべていました。 まるで自分のせいで馬たちにひもじい思いさせてしまったみたいに。 きっと馬が大好きで厩務員をはじめたのに、どうしようもない、どうにもしてやれない酷な時代に生きなければならなかった。 そう大人になった今想うと、お爺さんの切なさが少しだけ分かる気がします。 日本が復興し、リンゴが高級品でなくなってからも、お爺さんが決してリンゴを食べなかった理由も。 お爺さんは十年ほど前に亡くなり、お爺さんの馬たちが走っていた足利競馬場も廃止されてなくなってしまいました。 きっと今は、世話した馬たちに「リンゴうまかったよ」ってお礼を言ってもらって、幸せだと思います。 そんな辛い時代があったことと同時に、今の日本は競馬を娯楽として楽しめるほど幸福な国だということ、忘れたくないものです。 かつて隆盛を誇った足利競馬場 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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