姉のことで しばらく頭が塞がれた状態が続いていました。
たぶん、それは当たり前で、甥にははげまし立ち直りの言葉をかけつつ、自分には自分を責める気持ちが確実にあって、それらが私の気持ちを下に下に引っ張り続けていたようです。
色々なことを考えました。
でも、こう思ったのですよ。
私がもし死ぬ30分前にあって、思うところがあったら、きっと自分のできなかったことやれなかったことに対する思いは強いだろう。
『きしょ!あれまだできてな~い!!』とか『絶対 これやろうと思っていたのに!』とかね。
でも、『あの人が私にこんな態度だった。』とか『~してくれなかった。』とかは、多分思わないだろう。
だって、自分の人生の主人公は自分だから、死ぬ間際まで人のこと考えてられないです。
姉も楽な人生じゃなかったけど、彼女なりの一生を生き抜き、一人息子を育て結婚させて安定したところまで送り出しました。
その人生に、私がいつまでも後悔の気持ちを持ち続けるのは むしろ彼女への侮辱なのではないかと。
姉と私は、同じ親から生まれながら正反対の性格でした。
それは 母の存在のせいであったと今はわかります。
母親の二つの面をそれぞれ受け継がされ、ネガとポジ まったく相手と違う性格・世界観をもってここまでやってきました。
姉がこの世界を去り、私が残されたわけですが。
もし私が姉を悼むのなら、私が今まで生きてこれなかった、姉の世界を私に引き込んで進もうと思います。
できるかどうかわかりませんが。
自分の人生を自分で引き受けること。
背負う覚悟をすること。
人は、たとえ親であっても兄弟であっても夫婦であっても、自分の人生を背負ってくれはしません。
私は最後まで自分の足で進みたいと思います。