お隣の国のトップの方が亡くなったということで、ここしばらくニュースやらニュースショーやら、その話題を取り上げる時間がかなりありました。
そんな中で、元総理大臣だった某氏がひさしぶりにテレビに出てて、彼の言うことを聞いていて その言葉の通りの悪さにびっくりしたのです。
彼の言うことを聞いていると、まず、滑舌と声の質が悪く とても聞きにくいし、内容も整理されてなくて、把握しにくい。
一生懸命内容を聞きとろうと努力したのですが、言葉の端々に自分の行為の自慢っぽが入り込んでいて、うんざりする気持ちが私の中に湧き上がってきました。
で、まあいいか~と テレビはそのまま 流しの仕事を再開したのでしたが。
あとで、政治家は言葉で人に伝え動かす仕事だろうに、そもそも言葉を自在に使えないようじゃだめなんじゃないか~!と 思ってしまいましたのさ。
そこから また あれこれぽよぽよ考えていて
そういえば、文章でも 自分の頭にすっと入ってくる言葉と どうしても違和感あったり抵抗があって入りにくい文章もあるよなあ・・・ってことが浮かんできました。
いえ、この頃はなぜその文章が自分の何にひっかかかるのか、割と自覚的に分析できるようになってきたんですが、
昔はその自覚なしに、気持ちのいい文章と 気持ちよくない文章がある!とだけ、感じていました。
もちろん、きっぱり2つに分かれるわけではなくて、その間にはいろんなニュアンスがあるわけですけれどね。
細かい分析はできなかったけど、自分にとって面白い本というのは、言葉が抵抗感なく自分に入ってくるもの。
世間的にどう評価されていようと、それが私にとっていい本なのでした。
で、その本の見分けには自分なりの基準があって、それが私にとっては正しいものなのだ と感じていました。
この頃 自分の精神の整理が 少し進んできたところがありまして、
前より自分の感覚がどうしてこうなのか、すこし分析的に自分で認識できます。
で、のどごしのいい言葉というのは、その人のまん中から出てきた言葉なんだろう・・・って思っているのです。
ポーズや見栄や着飾った自分を見せるための言葉ではなくてね。
どんな言葉でも まっすぐ自分に向き合った人の言葉の方が 私には気持ちいいようです。
逆に最悪なのが、中身は全然違うのに言葉だけが立派で金メッキしてあるような文章。
数年前に 家のポストに放り込まれていた 某新興宗教系の会誌に載っていた 教祖様の文がそんな感じでした。
頑張って読んで その気持ちの悪さに 私はのたうちまわってしまいましたぜぃ。(頭の中でののたうちまわりでしたけどね)
誰でしたか、作家の方が 本人がどうであろうと正しい言葉は正しいとして受け取ればいいことです。みたいな内容のエッセー書いていたけれど。
書いた本人の存在感が 発した言葉に オーラのように付きまとうように思います。
あれこれ言うなら 本人自分を磨かないとねえ。
まあ、テレビに出てる人を見てるだけでも、色々な人がいて、それぞれ頑張っていらっしゃいますが。
表面の下にあるものも けっこう見えているもんですよね。
自覚的であろうと、潜在意識下での知覚であろうと、みな けっこう本当のことはわかっているんじゃないかとも 思います。