|
カテゴリ:考えたこと
う~ん、実は ここ数週間 オウム事件とか あの教祖のことについていろいろ考えていたのです。 でも、難しくてねぇ。 土曜日の番組見てたら やはりいくつか思ったことがあって。
おととい、どんなに大きな事件でも出来事でも風化するのは人間の性質としてあたりまえ、なんてことを書いてしまったわけですが。 いやむしろ もっと複雑に細分化して 私たちの社会の中に居座り 問題がどんどん深く大きくなりつつあるように思います。 これも 結局はオウムが提示した問題を 政治も教育界も社会(=私たち)も直視せずに スルーしちゃったせいでもあるかなぁ。 もしかしたら、そうならざるを得なかったのかもしれないけれど。 なぜ彼らのような集団が生まれ、育ち、犯罪集団となっていったのか。 いや少しは触れていた人たちもいたけれど、政治や教育界に影響力持ってないことにはどうにもなりませんでしたよね。
あの事件が起きて、テレビでもいろいろな切り口から オウムの教祖や組織や犯罪についての番組を作っていました。 『なんか考えの浅い作家の作ったマンガやアニメみたいだなぁ。安っぽすぎるぞ。』 ということでした。
第三者として 距離を持って遠景から見れば 本当にマンガみたいな安っぽい教祖が 盲信した信者を組織して 信じられない犯罪を繰り返していた。 ってことなんだけれど、そのばかばかしい集団が 私たちが平穏に暮らしているその隣で、異形化した人間の集まりが 世間の常識の想像力を超えた犯罪を着々と行っていた。 しかし、あまりにとっぴょうしがなかったもので、社会の抑止力が働かなかった。 そうして集団は暴走し、犯罪によって 現実に人を殺め傷つけ、多くの悲劇を作り出した。
今思うと 彼らはバーチャルのインナーワールドを 作り上げ、そこでの妄想をどんどんふくらまし ついにはその妄想のエネルギーが暴走して この社会への攻撃という形で表面化した。 閉鎖されたバーチャル空間。 今だからこそ、バーチャルって言葉が一般化されて それがどんなものかおおよそわかっている人も多いと思うけれど、当時はそんな言葉なかったよね。 ただ、マンガや映画の世界を作り上げて そこで生きてしまっていた、って風に私には感じられていた。
しかしねえ、あれから20年。 それは、私たちが生きているこの世界そのものが たぶんバーチャル空間なのだ―――ということ。
ただね、オウムとは違って 一般化の度合いが国規模 世界規模で大きいし、だいたいは穏やかで大多数の人たちが違和感なく順応できるふうに作られている。 でも、やっぱり 既成概念や思い込みで出来上がった バーチャル世界なのよね。 そこに気づき見極めそれでも自分の立ち位置を探りながら ここで生きてゆく。
まあ、ここいらは ずーっと考察し続けようと思う 私のテーマです。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月16日 14時35分22秒
コメント(0) | コメントを書く
[考えたこと] カテゴリの最新記事
|