5000アクセス突破と父親
昨日でこのブログへのアクセス数が5,000を超えた。一日のアクセス数も日を追うごとに増え続け、今では平均60アクセスに達している。多くの人がこのブログを見ることを日課にしてくれている。辞めた会社の同僚、応援してくれている方々、そして一番のこのサイトのファンが僕の父親である。 僕の父親こと、大石眞司は松下電器を定年まで勤め上げ、いまでは嘱託で某会社の営業マンをしている。僕が松下電工に入社したのは、父親が松下電器にいたことと無関係ではない。就職活動をしている当時、僕は金融機関にいくつもりで就職活動をしていた。銀行、生保やマイナーなところでは短資会社なんかも回った。そのころ、僕はバイトで東京會舘のバーでボーイをしていた。大手町にあったそのバーには、ソロモンブラザーズや、バークレーズといった外資系の金融機関の人たちがよくお客としてきていた。当時そんな人たちの話を聞いていると、ある程度の今後の金融事業がわかってきた。当時、明らかに日本の金融機関は市場に対して数が多すぎた。今後10年かかって大編成が行われるということだった。それを言っているが一人だったら信じなかったかもしれないが、複数の人が同じようにいっていた。それで、これは本当だとあわてて金融志望から、それ以外の業界に矛先を変えたのだった。 そして、その中で一番自分が仕事時間、収入、生活のレベルが想像しやすかった業界、すなわち父親の松下電器を第一志望に変えた。当然のように、縁故試験を受けた。しかし、付け焼刃がばればれだったのだろう見事に落とされた。そして、仕方なく、一般試験で松下電工を受験してギリギリ合格した。(入社後、仲のよかった採用担当の人に聞いたので、これは本当)。お恥ずかしながら、その当時は完全に就職ではなく、就社だった。 僕が松下電工を辞めるとき、父親はきっと猛反対するだろうと思っていた。ところが、父に相談すると賛成もしないが、反対もしなかった。これには意外だった。きっと、時代が10年前だったら、反対していたかもしれない。父親も大企業に就職=一生安泰という時代が終わったことを松下電器の中で感じていたからこそ、反対しなかったのではないかと思う。芸術家で自由に生きている弟の影響もあったのかもしれないが。 いずれにせよ、今僕の一番の応援団長は父である。二人ともSKYPEを入れているので僕が仕事でパソコンを使っていると無料通話が掛かってくる。また忙しくてなかなか帰省できないかわりに、2ヶ月に1度程度、昼食を一緒にとっている。僕は、最近やった仕事の話をする。父の口癖は「ゆっくり確実にやれ、健康には気をつけろ、そして、昔世話になった人に挨拶を忘れるな」だ。