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我が家の子育て

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2005.11.25
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ちょっと、記憶をさかのぼり、私が高校時代の話をしたいなぁと思います。

高校の頃は、柔道ばかりの1日でした。
当時、私が通う高校の柔道部は、レベルがかなり低くて、入賞する選手がほとんどいない。
おまけに、女子の部員は一人もいなかったようで、私が初代だそうな。

私は、柔道を本格的に続けるなら、もっとレベルの高い高校に行きたかった。
でも、中学時代、勉強嫌いだった私は、学校をサボったりして、まともに授業を受けることもなく、受験勉強をしなくてはいけない時期なのに、柔道をやってた。

私が行きたいと思っていた高校から、推薦状が届いていたらしいのですが、担任は、そのことをずっと隠したまま、別の高校を進めてきました。
あとで、聞いた話、あのまま推薦で入学してしまうと、学力についていけなくなって、柔道が出来なくなったときに苦労するだろうと思ったそうな。

楽に入れるなら、どこでもいい。ただし、柔道部には、入らない。

そう思って、受けた高校受験。
受験勉強をしたのは、入試本番の1週間前。
ほとんど缶詰になって、勉強した。
通っていた塾も、もちろん、夜中まで居残り授業を強制的にさせられた。
泣きながら勉強した記憶がある。

母は、ヒヤヒヤしていただろうな。
きっと…。

なんとか合格して、入学した高校。
同じクラスには、同じ中学の友達が何人かいた。
まぁ、1年の頃は楽しくやってた。

たまたま同じクラスに、柔道部の子が何人かいたので、ワイワイとにぎやかにやってた。
同じく、柔道推薦で入学した女子柔道部員のMちゃん。
この子は、中学時代、52kg級県チャンピオンで、本当、強かった。
ひょうきんな子で、物まねが好きな子だった。

練習嫌いで、ろくに練習しなかったのに、高校デビュー戦であっさり優勝したのには、周囲は驚かされた。
私はその子に、ろくに勝てたことがなかった。

監督も、その当時は、Mちゃんばかり指導して、私はまったく期待されていなかった。
でも、その方が楽だと思ってた。
そんなに柔道がやりたかったわけでもないし、試合なんかどうでも良いって思ってた。
柔道部辞めようかなと思ってた頃。
一度、監督に退部を伝えたが、1時間あまり、説得された。

そのとき、確か、監督が帰る方向が一緒だからという理由で、最寄の駅まで車で送ってくれ、その車の中でだった。

その光景を、同じクラスの子に見られ、翌日学校に行くと噂が広まっていた。

「dai-toghiさんが、T先生(監督)と不倫している」

爆笑してしまったよ。何で、そういう噂になるんやら。
どっから出てきたよ。
この噂は、高校卒業するまで続いたが…

1年の頃は、監督との相性も悪いなって思ってた時期。
実は、監督とは、中学時代にも会ったことがあるらしい。
私は覚えていないが、当時通っていた道場に、監督も練習に来てたそうで、私を見かけたことがあると。

そのとき、懸命に練習する姿を見て、うちの柔道部の来ないかなと思ってたそうな。
実力とか、そういうのではなく、練習振りを見て…だそうな。

しかし、Mちゃんのほうが結果も出せる。
結局、Mちゃんばかり指導していた。

私はというと…
他の男子部員と練習をしていたが、まぁ、ふざけながらやってたな。

でもね。やっぱり私にも多少ながら、プライドもある。

仲の良かった男子部員に「Mを見返してやれよ」と言われたが、勝てっこない。
帰りの駅で、涙を流したこともあった。
試合にも勝てない。Mちゃんにも勝てない。
そんな自分が悔しいって思い始めた頃だった。

そんな頃に、左足首の靭帯断裂・複雑骨折。
全治半年。
手術をすることになり、柔道が出来なくなった。

チンタラやってたのが災いしたのだと思う。
その頃は、そのMちゃん、私と、もう1人の男子部員だけ
あとは2年の先輩(重量級の選手で120kgも体重のある先輩)しかいなかった。
みんな学校を辞めてしまったのです

その2年の先輩との練習中での怪我でした。

何も期待されていないのだから、自分なんて辞めても、誰も止めやしない。

そう思って、悩んだ挙句、退部したが、どうしても柔道が忘れられなかった。
Mちゃんに「今日はこんな練習した」とかそういう話を聞くたびに、悔しくてたまらなかった。

戻ろうか…と悩んでいた頃、男子部員だったMくんや、Y先輩が
「マジで、やめるのか!?戻って来いよ」って言ってくれたが、まだ迷っていた。

放課後、他の友達を待っているとき、男子の監督だった先生に声を掛けられた。

初めて、私に「期待していたんだぞ。戻って来い」と言ってくれ、その言葉がうれしくてたまらなかった。

それがきっかけで、復帰して、懸命にリハビリをした。

でも、2年に進級した頃には、Mちゃんも学校を辞めてしまい、残ったのは、私とMくんとY先輩だけだった。
しかし、春には1年生が入ってきて、やっとにぎやかな柔道部のなった。
女子も3人も入ってきて、私も、必死になってた。

その頃からかな。
急にT先生(その不倫していると噂されていた相手)が、妙に私ばかり指導するようになった。

結果が残せるようになってきたことがきっかけだったようだ。

…というのも、県内の学校との合同練習に積極的に参加するようになり、大学にも練習に出向いていた。

そこには、県の強化指定選手がゴロゴロいて、練習でも、力を付けてきたことが、監督としては「期待できる」と思ったんじゃないかな。

中学時代に通っていた道場にも、通っていて、いつも帰りは10時前になっていた。

家にはご飯食べて、お風呂に入って、寝るだけの生活。
母ともまともに顔を合わせることがなかった。

そんな生活が高校3年の春まで続いた。

でも、結局は、監督の期待に沿えることはなかった。
今回は絶対、優勝できる。
インターハイにいける。そう期待されていた県予選。

本番3日前、左ひざ、靭帯損傷・半月版損傷。
それでも、無理やり試合に出たものの、結果は、準決勝敗退。

中学時代、仲の良かった友達(別の高校にいって、強化指定選手になった)と「今年は、絶対、一緒にインターハイに行こうね」と約束をしていたが、その約束も果たせなかった。

これがきっかけで、試合にでることはなくなった。
でも、完全燃焼したわけでもなかったので、悔いが残る。

大学にも行きたかったが、膝の怪我が悪く、柔道はもうやってはいけないと診断されてしまったため、諦めたのだった。

そんな高校生活。

そんな中でも、今思えば、すごく不思議なことがある。

それは、今も仲良しである親友Kちゃん。(現在は、パパさんの親友のSくんと結婚して、2月には待望の第1子が生まれる)
そのKちゃんが高校2年の頃から1年にわたって見ていた夢。

たぶんね、当時、私がT監督と不倫しているって言う噂があったこともあって見た夢だったらしいのですが。

私が柔道やっている人と結婚して、たくさんの子供が生まれたっていう夢をストーリーのように1年間に渡って見てたそうな。

当時の私は、よく男の子に間違われていて、他の高校の子に何通もラブレター貰ったり、告白されたり、追っかけられたりしたり、Kちゃんがその頃付き合っていた彼氏にも男と間違われて、けんかを売られるところだったり…。
とても、母親になるなんてイメージもなかったし、誰も予想しなかったらしい(爆)

んで、今のパパさんと結婚することになったとき、Kちゃんと「正夢っぽくなったよね」なんて話をしていたぐらい。

おまけに、Kちゃんの見た夢の中の子たちも、柔道をやってたとか。
んで、私たちが指導してたって言ってたかな。

これって、正夢なんだろうか?
だとしたら、Kちゃんって、すごいよな。。





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Last updated  2005.11.26 08:40:21
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