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カテゴリ:読書
1601(慶長6)年、宗矩は家康の息子・秀忠の剣術指南役を命じられ、柳生新陰流は将軍家の御流儀となりました。剣術を戦の手段ではなく、幕府や諸藩を支える武士たちの修養の手段と位置づけた宗矩の理論はこそ、平和の時代を治めようとする将軍家に必要なものでした。 大阪夏の陣の翌年の坂崎成正の事件を解決した宗矩は、秀忠や幕府の重役たちからその政治手腕を大きく買われ、秀忠の引退後も、3代将軍に・家光を陰から支えていきます。 柳生新陰流の極意。「剣禅一致」。剣と禅の一致、心の重要性を唱える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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