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テレサ・テン

テレサ・テンの元彼、10年間も墓参りせず 

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 【大紀元日本7月1日】「アジアの歌姫」と呼ばれるテレサ・テンは1995年に亡くなってからすでに12年がたったが、依然として多くのファンはテレサのことを忘れることはない。テレサのストーリーを再現するミュージカルに出席するために、唯一の弟、テレサ・テン文教基金会執行長で弟の長禧氏は四川省重慶市を訪ねた際、メディアのインタビューに応じた。

 出棺日、彼氏は泥酔


 テレサ・テンが発病したときに、付き合っていた14歳年下のフランス人ステファン・ピエールが留守だったため、テレサ・テンの治療が手遅れた。テレサ・テンが亡くなってから、テレサ・テンの兄はピエールに対して、憎しみを抑えられずに、殴りかかりそうになったという。これに対して、弟の長禧氏は、兄をなだめたという。「自分はそこまで思ってはいないが…」とコメントした。

 出棺の前、兄はピエールの出席を阻止したが、最終的に、弟の長禧氏の説得で家族はピエールの出席を許したという。しかし、出棺当日、ピエールは現れてこなかった。長禧氏はポールの宿泊先のホテルに連絡を取り、ホテル側に部屋をチェックしてもらうことにした。結局、ホテルのマネージャーから、ピュエールは泥酔状態との連絡があったという。

 数年間音信不通、彼には恨みはない

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 テレサの死後、ピエールはテレサが持っていた香港の別荘に2年間住んでいた。
長禧氏はピエールのために、管理人を雇い、世話をさせた。勿論、費用はすべてテレサの遺産から支払われた。その後、長禧氏はピエールと長時間にわたり話し合った。長禧氏はピエールに対して、「君はまだ若いし、自分の歩むべき道を歩まなければならない…」と諭し、ピエールは最終的にフランスへ戻った。その後数年間は、長禧氏と連絡を取り合っていたが、徐々に連絡が途切れがちになった。記者は「ピエールは、お墓参りに戻ったことがあるのか」の質問に対して、長禧氏は「戻って来たことはない」と答えた。

 ピエールについて、長禧氏は恨んではいないとし、「少なくとも、姉と楽しい時間を分かち合っていた」とコメントした。

(07/07/01 08:34)


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