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テーマ:囲碁全般(743)
カテゴリ:【碁】棋士評伝
歴代本因坊の事跡などを適当に書き綴ってみようかなと思います。多分に独断と偏見を含みますのであしからず。
初代本因坊は算砂(1559-1623)。この人は信長、秀吉、家康の3人の覇者に使え大きな影響力を持っていたようです。結局江戸幕府が囲碁将棋の家元を保護するようになり日本囲碁界が発展していったので、算砂は囲碁普及史上屈指の功労者といえます。本因坊史上では秀甫と並んで2大普及功労者でしょう。 はじめは囲碁将棋所と統一されていました。まとめて算砂が面倒見ていたわけですが、途中から囲碁所、将棋所を分けることになり、自身は囲碁所に就き、将棋どころは大橋宗桂(一世名人)に譲りました。算砂は宗桂との平手譜も残っているそうで、将棋も超一流。一つ間違えば「本因坊戦」は将棋のタイトル戦になっていたかもしれません。 また今日囲碁将棋界で名誉ある称号となっている「名人」は、算砂を褒め称えた信長の言葉に由来しているといわれ、いろいろな意味で日本囲碁界のルーツとなる人です。 囲碁の技量はもちろん当代一流のもので、ライバルの利玄などをほぼ圧倒しています。ただ道策や化政期以降のハイレベルな江戸古碁に比べればやはり注目されることは少ないでしょう。 算砂の碁で有名なのは本能寺の変の前夜の3コウ局です。この碁が変事の予兆となったという逸話ですが、該当する棋譜は手順が途切れており、しかもその局面から3コウの生ずる余地がないので、この話は後世の作り話といわれています。 算砂は、弟子の中村道碩に名人碁所を譲り、まだ幼い算悦を道碩に託して死去します。算砂の辞世の句が振るっていています。 「碁なりせば 劫など打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」 算悦の項に続く・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007/03/08 12:20:15 AM
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