すごさを鑑賞する
囲碁を打つ人ならだれでも強くなりたいと願うし、やはり強くなるためにはもっと勉強(努力)しないといけないのかなどと悩むことも多いはず。趣味として囲碁をやっていて、「楽しむ」ことと「努力する」ことのバランスは結構難しい。楽しんでるだけでは強くなれなくて壁にぶち当たるときがくるし、かといって上達しようと頑張りだすとストレスがでてきたりします。 でも「勉強」って強くなるためのものではないと私は考えています。というよりむしろ、強くなろうとか考えずに勉強するのが楽しいし効果があるのではないかと。 先日もんちゃんさんにイチャンホのヨセ(神算の世界)の話をしたんですね。この本はご存知のように超難解で、はっきり言って私もちゃんと消化しえていません。こんな話を囲碁を始めて2,3年のもんちゃんさんにしても上達には基本的には関係ないですね。(もちろん分りやすい例を選んで、出来るだけシンプルに解説しますが)上達するための「勉強」は、自分がすぐ使えるような技術・知識を効率よく覚えていくことですからね。 しかし、すぐに役に立たないようなことでもそこに「感動」があれば楽しいものです。自分が出来るか出来ないかではなくて、プロの読みがすごく深いことや着想の素晴らしさを感じ取れたときの感動は格別なものです。プロの見ている世界とアマの見えている世界が違うことはわかっても、実際はどう違うか分りません。結局自分がプロレベルにならなければ本当のことは分らないでしょう。ただ、書籍や指導者などの力を借りればその「一端」ぐらいは感じ取れるものだし、「一端」でも触れることが出来ればものすごく感動するし、楽しいことです。感動出来れば楽しいし、楽しければ囲碁に対するモチベーションも上がります。 そして実はそういう「すごさの一端」は、基本詰碁や基本定石といった基礎訓練の中にもたくさん詰まっているのです。詰碁をやるときつい正解、不正解の結果ばかり気にしますが、一つの問題が正解にたどり着くまでには、いろいろな手筋が駆使しがらぎりぎり上手くいくようにできているわけです。一つの図形が詰碁として成立しているということだけでも芸術的なんですね。結果を気にするのではなくて、すごさを鑑賞する気持ちで解いたり解説を読んだりすると、見える風景が全然変わってきます。 本などで勉強すること自体も、対局などと一緒でいろいろな発見や感動があって楽しいことなんです。強くなろうという目的が勝ちすぎると楽しさが半減するので、先人が残した囲碁技術のすごさを鑑賞するぐらいのノリで書籍を紐解くのがよいのではないでしょうか?