ロストフレンド
今日は私の音大生時代の話。私は同じ学校に、2人しか友達がいなかった。一人はシンセサイザーの授業で一緒に組んだ子。友達というより少し仲のいい子という感じで、名前も覚えていない。もう一人は、おそらく一生忘れないであろう友人。すごく育ちのよいお嬢さんで、鍛冶屋の娘である自分とは大違い。明るくて真面目で心の優しい、それはまさしく小公女セーラのような子だった。それに対して私は無愛想でわが道を猛進する孤独な学生であった。彼女はなぜか私のことが大好きで、毎日のようにラブレターをくれた(笑)手紙にはしょっちゅう「大好き」とか「愛しています」など同性でありがなら赤面するような台詞が羅列されていた。(誤解されそうですが、当然友達として、ってことですぞ!)私と彼女は対極な性格であったため、社会や周囲に平気で反発するような私の生き方がすごく魅力的に映った、という。生き方も何も、別に何か考えて生きているわけじゃなかったのに。ある意味問題児だったし(爆)きっかけは、彼女の友達がロックコンサートに出演するというので、同じ大学のピアノの先生を通じて、ロック好きな子がいるよってことで、私をライブの同行人として紹介してもらったらしい。彼女は実家がドイツにあって、お父さんはどっかの大会社の重役という、すんごいお家柄の娘さんだった。そして出会って間もないというのに、彼女は私をドイツの実家に招待すると言ってきた。「他の友達じゃ嫌なの、呂ちゃんだけに来てほしいの」と。ぐっはぁ!なんか、恐ろしい展開になって来ましたで!と内心思いつつ。そんで私は「スウェーデンにも行きたい」とか言っておいて、さんざん予定を立てさせておきながら、「旅費がもったいない」とかいう理由でキャンセルしてしまいました。なんてバカなんだ!そんな機会もう二度とないぞ!(ついでに成人式にも「振袖なんて金がもったいないからいらない」という理由で出なかった)まあそんなエピソードもあった。私はメタルの布教活動に燃えていた。クラシック音楽が好きな清楚で純粋な彼女にすら、メタル教に入団させてしまった。まあ、そこまで嵌ることはないだろう・・・と思っていたのが、意外にも彼女はみるみるうちにメタルに傾倒していった・・・計算外だった。実際メタルにはクラシック音楽に近い部分がかなり多い。特にシンフォニックブラックメタルなどは、楽器をオーケストラに変換すればそのままクラシック音楽になってもおかしくないものも多い。普通、同じ趣味の仲間ができて嬉しいはずなのだが、それは最初だけだった。だんだん私は、彼女がこういうアングラ(?)な世界に染まってしまうことに嫌悪感を抱くようになった。手紙の中で、彼女は「自分の中に"悪の部分"がいる。それは許せないことではあるが、正直な気持ちだ」と言っていた。ピアノが大好きだった彼女が、「ピアノをやりたくない」なんて言い出し、慕っていた先生にまでそんなことをもらして困らせていたようだ。彼女が彼女でなくなってしまう・・・なんて当時の自分が思っていたのかどうかわからない。ただ、何かがひっかかっていた。そんなある日、私と彼女は大学のサロンでいつものように談話していた。話のネタ程度に、METALLICAの"Creeping death"を「これ、今うちのバンドでやってるねん」と言って聴かせた。すると彼女が笑いながら言った。「え~~っ・・・なんか、普通すぎる~」勝手に「いい曲だね」と言うだろうと予想していた自分は、最低な態度に出てしまった。「あっそ。じゃあもう聴かなくていい」彼女は泣きそうになりながら授業に戻っていった。それから彼女から手紙が来た。「呂ちゃんと喧嘩してから生きている心地がありません。ひどい言い方してごめんね。でも、そんなに怒らないで。私がメタリカを聴いた感想を、素直に言っただけだから・・・」違う。好きな曲のことをけなされたことよりも。彼女の何かが変わってしまったことにイラついていた。それを境に、お互い手紙の回数は減ってゆき、私たちは疎遠になってしまった。卒業後も彼女から手紙が来たり、会うことはあっても、以前のように親しくすることはなかった。(最後に来た手紙では彼女はメタルを聴かなくなっており、クラシックの勉強に励む元の彼女の姿に戻っていたのであった)要するに私はガキだった。大人になった今なら、あんなくだらないことで怒ったりしない。(ホンマか?オイwくだらないことですぐキレるくせにw)世の汚れた部分など知らなかった彼女にしてみれば、この庶民的で斬新な世界を楽しんでいただけだったのだと思う。あまりに急激に親しくなったせいか、お互い度を越してしまっていた部分もあった。正直、鬱陶しいとも思えるほどにいつも私の行く所には彼女がいた。くっついて来られると意地悪したくなってしまう私は、時に意地の悪いことをしたこともあった。私の思い通りにはなったが、彼女を悲しませたこともある。そんな彼女を見ているうちに、いつしか私は彼女の行動や考えすらも支配しようとしてしまっていた。なのに「呂ちゃんの望むことならなんでもする」なんて。それくらい彼女は私を慕ってきた。バカだよ。私、こんな人間なのにさ。彼女は頭もよくて、人生論や哲学が大好きだった。だから、私への手紙にも当時の私にしたら小難しいばかりの人生論、それも私への激励の言葉とも判らずに・・・今となってはすごく重要なことが書かれていたりした。当時は人生論なんて考えたことがなかった。自分のやっていることは正しい、何も考えることなんかない、と思ってた。そんな彼女の心のこもった手紙がかけがえのないものだったと気づいたのは、彼女が離れていってからだった。今の自分なら、彼女と対等に話ができるだろうか・・・そんなことを思ってみても、もう彼女は私のことを忘れているだろう。きっとどこかで、素晴らしい女性になっていることと思います。