トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

2021/10/27(水)08:35

40年で3回異業種への転業で脳ミソが活性化?

中小企業の生きる道(196)

大学を卒業してからサラリーマン(建築金物建材メーカー営業)4年 → 織物業20年 → トランクルーム(音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場、不動産仲介業)16年と、40年間で3回全く違う業界を経験してきました。 大学を卒業してからサラリーマンをしたのは、子供の頃から織物業のしんどさをイヤと言うほど味わってきましたから「継ぐのはイヤだ・・・サラリーマンで一生食べていく」と父親に宣言し、敢えて家業の織物業とは全く業界を選んだのです。 しかし、これが結果的にヨカッタのです。 4年間必死でサラリーマンで仕事を頑張ってきましたが妻と子供2人を養う事が難しくなり、「サラリーマンは報われないなぁ・・・」と父親に頭を下げ「やっぱり継がせて下さい」・・・と。 それから20年間織物で頑張ってきましたが、後半のバブル崩壊で新規開拓をしなければならなくなり、そこで役立ったのがサラリーマン時代の営業力でした。 サラリーマンを経験していなければ、この難局を切り抜けられなかったでしょう。 しかしその努力の甲斐もなく、結局家業に戻って20年で「天国の祖父や父親には申し訳ないけど、ココでピリオドを打ちます・・・」とこの先食べていくために廃業(トランクルームに転業)を決断したのです。 曽祖父からの家訓である「名を捨て実を取る」を実践したまでですが・・・(汗)。 私は株の売買は余りしませんが、機械や建物の安いバブル前年に社運を賭けて新工場を建設してまで億単位の設備投資をして、リーマンショック2年前の北京オリンピック前の好景気に沸いていたに中国に弊社が使い倒した織物機械を割と高値で転売できたのです。 全く運としか言いようがありませんが、安く仕入れて高く売り抜けたのです。 コレが弊社の無借金経営に至る主因だったのです。 それからトランクルームに転業して16年目に突入しましたが、これまでにトランクルーム以外に4つのビジネス(不動産仲介業、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場)を起業しました。 という事で、3回転職した訳ですが、各業界とも全く違う「決済(集金方法)」「商慣習」「値段の決め方(利益率)」「流通の長さ」「業界用語」「業界人間」「業界の考え方」・・・と経験した事が経営者としてビジネス感覚(経験値)にプラスされてきたような気がします。 タイコも子供の頃から叩いていただんじり祭りの和太鼓と、大学から始めたロックドラムは同じタイコの範疇に入り、両方を経験する事によって互いに影響し合いシナジー効果を得るという意味で同じだと思います。 今の仕事の主力であるトランクルーム業も、副業の4つのビジネス(不動産仲介業、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場)を兼業する事によって、4つのマーケット経験値を本業のトランクルームへ情報をリンクさせアイデアをフィードバックできるという点が隠されたメリットだったのです。 本業と副業のポジションを明確に分け、不動産は片道15分以内の貝塚市の事業用物件の仲介に絞り、音楽スタジオは2年後に4室目のスタジオ(Dスタジオ)増設を計画していますが、ライブハウスへの進出を全く考えず「練習場」に徹し、完全個室&WiFiのテレワーク室と卓球場は仕事&受験勉強(大学、資格)とファミリーピンポン(レジャー)&フラメンコ(orファストドロウ)練習場にターゲット絞っていますが、それでも固定概念に縛られずに船場の扇子商法に習ってマーケットの変化に合わせて何時でもトランクルームに用途転用(元に戻す)できるようなスタンスを取っていますが、新たなニッチマーケットを虎視眈々と狙っています。 コレを人件費を掛けずに、後継者の娘と2人だけで回していくというのがポイントだったのです。 1つの業界で40年間も全く変わらないというのは民間ではあり得ませんし、大きな景気の波に何回も遭遇するはずです。 その波にジャストタイミングで乗れるか?潜るか?乗り過ごすか?巻かれるか?・・・は背後に波が迫ってきた時の瞬時の判断で運命が決まります。 その瞬時の判断と行動力は、それまで培った3つの異業種での経験が役立った・・・と思いたいです(汗)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798  mail: info@sasatani.com にほんブログ村  にほんブログ村 にほんブログ村  大阪府 ブログランキングへ

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