「受験。」 ~第六話 (最終回)
後期試験は小論文だけでした。よくある話ですが、過去問を見たのは、前期試験が終わった後で、後期試験まで、2週間もありませんでした。文章を書くのは、別に嫌いではないのですが、文字数があまりに多すぎました。1500字程度のテーマ小論文+読解問題と意見論述1000字程度。さらに困ったことに、テーマ論述は、そのテーマの知識なしに解けるものではありませんでした。例えば、「大量の画像を保存・伝達することができる電子テクノロジーは現代社会を成り立たせている先進技術のひとつです。かりに、この視覚的なメディア技術が存在しなければ、私たちの社会や文化は、どのようなものになると考えられるでしょうか。その姿をできるかぎり具体的にイメージして述べたうえで、経験を保存・伝達する技術と社会生活とのかかわりについて論じなさい。(1500字程度)」とか。今ならば、まだ少しは知識も得たので、書けるとは思いますが、当時は、もうさっぱりでした。とにかく教養をつけようと思いました。ただ、現代文対策として、小論文用の参考書を読んでいたので、まだ、楽になったと思います。よく、「小論文対策はひとりではできない。誰かに見てもらわないと。」と言います。それは、多分、その通りなのでしょう。しかし、僕は、誰にも見てもらいませんでした。高校の国語科に、完全に信頼できる「誰か」がいなかったのです。中野芳樹師以外の現代文教師は、あまり、信用できない体質になっていました。つまらないこだわりですが、中野師が書いた小論文の本だけをやりました。その力で、後期、合格りたかったのです。本当に、つまらない、こだわりです。(真似しないでくださいね・・・。)嬉しいことに、前期試験が終わる前までよりも、一日の勉強時間はぐっと減り、睡眠も長時間とれ、身体的ストレスはなくなっていきました。そんな中、卒業式がありました。実感は、全くありません。本当に、もう、生徒として、高校に来ることはないのだろうか、というくらい、式はあっさり終わりました。もう、ここにいる大部分の人とは、会うこともないのだとは、そのときは思えませんでした。今もまだ、4月からは、いつもどおり高校に通うような気がしていて・・・不思議な感じです。この日、一番嬉しかったのは、おしゃべりできたことです。ずっと部屋に閉じこもりだったので、もう、人と交わりたくて、仕方ありませんでした。後期、ホンマに頑張ろう、と気合を入れ直しました。・・・ずっと、解答速報は見ないでいました。そんなことをしても、結果は変わらないからです。問題講評だけを見ました。そこで、α大学文学部は、「やや難化」、もしくは「難化」となっていました。河合塾の講評では、現代文で最後空白にしたところが「問題の意図が分かりにくく、答えにくい問題であった。難化。」と述べられていました。もう、ここまで見たら、解答まで見てしまいたくなりました。そして、ちらっと見るだけなら・・・と思い、ついに、クリックします。そこで、英語の記号問題は全て当たっていることに気が付きます。心の中で、どこか、まさかの良い結果を期待している自分がいました。でも、自由英作は、間違いなく0点。日本史も、微妙。古文は、やっぱり「そぞろに」の現代語訳「なんとなく」と、あと一問だけしか合っていない。期待するのはやめようと思いました。もう前期は終わったのです。ダメだったんです。後期試験だけを見据えて、ただひたすら、やりました。・・・・。前期試験、合格発表の日。後期試験は、5日後に迫っていました。その日が合格発表ということはもちろん、知っていました。朝の9時から、大学のHPで発表されます。でも、目が覚めたのは、10時過ぎ。最近は、夜遅くまで起きている代わりに、昼頃まで寝る、という、習慣がついてしまっていたので、いつも通りです。発表はHPで行われるのですが、希望者には、電子郵便(レタックス)が届きます。それを待ちました。せっかく、500円以上かけたのですから。しかし、なかなか、届きません。・・・依然として、心のどこかで期待していました。何を考えとんねん、と、自分に言い聞かせます。ムリなものはムリ。一刻も早く、落ちたことを確認して、小論文対策に拍車をかけたかったのです。・・・・待ちます。それでも、来ません。・・・。午後1時。来ません。その日は、午後2時からテーマ論述の過去問を解こうと、午前中に解答用紙を作成していました。このままだと、ずるずるいってしまう・・・500円は無駄になるけど、もう、インターネットで見てしまおうと、決心しました。大学のHPには、あっという間につながりました。それもそのはず、今でさえ回線が混雑しているわけがありません。どうせ、アカンねんから・・・。と、「文学部」の文字をクリックするのかと思いきや、「法学部」の文字をクリックしてしまいました。法学部の合格者の受験番号が画面に映し出されます。やっぱり、怖かったです。結局、「経済学部」、「工学部」、・・・など、全ての他の学科の数字を見ました。そして、最後に、今度こそ、「文学部」の文字を・・・・・。クリックしました。画面が映し出されます。・・・・・・・・(ムリムリ)。・・・・・・・・・。え?!そこには、紛れもなく、自分の受験番号がありました。唖然としていました。これは、また、他学部の合格発表のページを開いてしまったのか・・・と思い、もう一度、同じ操作を繰り返しました。やっぱり、あります。涙は出ませんでした。そういう体質です。叫びもしませんでした。そういう体質です。感動というより、ビックリでした。こんなことなら、もっと、ワクワクしながら、発表を待てばよかった・・・・。本当に、想定外の出来事でした。実感はありませんでした。その直後、書留郵便が届きました。それは、合格通知でした。嬉しかったです。でも、信じられませんでした。・・・・。辺りも暗くなったころ、電子郵便(テレメール)を持ったおっさんが、ようやくやってきました。おっさんには、もちろん・・・・にっこり?笑って、接しました。「遅くなって、すみません」「いえ、ありがとうございました♪」と。(完)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長文、失礼しました。これは、ただの個人的な記録として、書いたものです。・・・。いずれ、忘れてしまうのが人間ですからね。未だに、なんで、自分が合格ったのか、分かりません。採点ミスかも知れません。採点者との相性が良かっただけなのかもしれません。そんなこと、どうでもよくなりました。合格のための秘訣なんて分かりません。ただ、思うことはあります。一つ目は、「受験勉強は、受験のためにしかならない、なんてことは、絶対ない」ということです。もちろん、今、それを実感しているわけではありません。そんな気がするだけです。高校では「受験で頭がいっぱいになってはいけない。受験以外の勉強も、ちゃんとやらなければ。」とか、受験勉強が、まるで、毒であるかのように言う先生もいました。「現代文の読解方なんて、ない。そんなん、ただの、受験テクニックや。」とか。でも、これは、「受験勉強は受験のためにしかならない。」という考え方が強く示されていますよね。僕は、個人的に、ですが、そうではないと思うんです。もちろん、受験のためだけの勉強もあるとは思います。いわゆる、「小手先のテクニック」というものです。また、受験勉強と、大学での学問の性質が違うのも分かっています。でも、「一生モン」になる受験勉強も、あると思うんです。少なくとも、中野芳樹師に学んだ現代文の読解方は、ずっとこの先、論文を読んでいく上でも、使えるものだと思いました。こう考えてみると、受験勉強の方法は、重要です。勉強のことだけでもないでしょう。でも、これは、ただの、予想です。そんな気がするだけです。当たり前ですが、何年か経ってみないと、分からないでしょう。二つ目は、「やる気と根性と強い意志と自信だけでは、どうにもならない」ということです。それは、幾多の失敗が物語っています。「やる気さえあればできる」なんていう考え方は大嫌いです。でも、「やる気も根性も強い意思も自信もない」のは、もっと、どうにもならないと思います。つまり、「『やる気や根性や強い意思や自信があること』は、『どうにかなる』ことの十分条件ではなく、必要条件である。」ということです。言わなくても分かると思いますが・・・『やる気や根性や強い意思や自信』がある → 『どうにかなる』は成り立ちません。しかし、『どうにかなった』ということは、『やる気や根性や強い意志や自信』があったということです。言い換えると、やっぱり、ここでも、「勉強の方法はむちゃくちゃ大事。」ということです。ただ、そんな気がするだけです。・・・まぁ、全ては、たかが、一度、受験に接しただけの者の戯言です。最後になりましたが・・・、これから初めて受験を迎える方、そして何よりも、もう一年、頑張られる方に、影ながら、ではありますが、心より、エールを送ります。では、いつかまた・・・逢えるその日まで・・・。