スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2020/03/13(金)18:51

ウソッコ、サメッコ、ユメッコの中で

この人は、むかしカトマンズの宿の窓からラリった状態で町並みを見ているうちに、この世が舞台で人々が役者であることに気づいてしまって以来、自分が役者であることに気づいていない迫真の演技をする人たちを相手に大根役者を演じ続ける立場に甘んじている、ちょっぴり不幸な人物です。 何をやろうが真剣みが足りないため失敗が多く、ネクタイを締めようがハジメちゃんのTシャツを着ようが妙に似合わず人から笑われ、けっきょくイヌネコのねぐらのようなアパートの一室でごみの山に囲まれて寝ているときだけが唯一安堵できる瞬間なのだと言ってました・・・ ところどころ間違いはあるにせよ、小さなことは、さておき、幸福だけど、誰のことか分からないが、概ね正しいような気がする。 最近、確かに、死ぬのは、何歳になっても怖いものだと思っていたが、不思議にそうでもなくなってきた。子供の頃、都市をとったら死に近づいて、もう仕方ないよなという悟りの気分になって死んでいくものだと思っていたけれども、大人になって老人も死ぬのが怖いということを知って多少驚いた。死ぬのが怖いのは、死んだらどうなるか分からないからに過ぎない。苦しんで死ぬのは、確かに嫌だし怖いけど、そのあとは知らない。もし、死んで楽しい世界が待っていることが判明してしまえば、皆、どんどん死んでしまう。輪廻って不思議だよね、また生まれてくる。また生きる苦しみを味わう。また生まれ変わってくるなら嬉しい!なんて10代の頃はは思っていた。輪廻を外れて、もうこの世には戻ってこない、がゴールなんていったいどういうことよ、と思っていた。  しかし、前世を覚えていないなら、生まれ変わろうが何だろうが、関係ないよなあ。前世が東欧の人間だったから東欧行くんだね?いいえ、そこに国がいっぱいあるからです。来世でまた会おうね。いいえ、覚えてないなら初めて会うのと同じです。 輪廻もいろいろありまして、昔、金魚蜂を見ながら、オレの前世って魚だったんかな、というと、キリスト教の西洋人は、人間は人間にまた生まれるのです、信じられないといいました。ああ、表現主義の母親にプラスして、何となく言葉にしないけど、厭世主義の親父に似てきた気がします。 ヒトリ長めツイッターしました、と。

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