それにしても、節約旅行者にとって、それら節約できる宿は密集しているものであり、数人、今から20年前に40代だと思われる出会った日本人をピックアップしてみようという試みである。つまり、時々、会った40代の人々は、海外渡航自由化されたさらに20年前の1960年代から70年代初め、1ドル360円の時代に、パック旅行でなく、ヒッピー旅行にでかけ、そのままたまに豊かな日本に帰り、そしてまた金がなくなるまで外にでていくこと20年選手達だった。
1980年代インドに行ったとき、1960年代にインドに行った人の話を聞いて、羨ましく思ったものだった。(もしかして2010年インドを旅行する人にとって、1980年代にインドに行っていた私なんか、化石に見られるかも知れないなあ。とにかく、旅行は2000年前後のネット社会の出現によって、情報量が格段に増え、随分、変わっている。考えれば、ボルネオ島に行ったときなんか、ネットもガイドブックもないのに、川下りしようというのだから、図書館で民族の本や数少ない旅行記などを読みながら、どうやっていくのか、そして、進みながら地元の人々に聞いて情報を得ながら先に駒を進めたものだから、不便しに行ったようなものだねえ)
カルカッタで会った40代のおじさんは、くたびれたルンギーを身につけ、自分より10も20も年下の若者を捕まえては、チャラすがどうのこうのと講釈を垂れ、そのくせ、何だか寂しがり屋で、煙を見ると僕も嫌いじゃないからと寄って来て、別にいいんだけど、哀れであった。高度成長期をつきぬけ、日本に居る間だけ長距離トラックの運転手をして、恩恵を受けてきたであろうが、今、どうなっているんだろう。
それでも自分らしく、やっているのだろうか。あはは。自分らしくなんて、いつの時代から言うようになったのであろうね。気恥ずかしい馬鹿馬鹿しい言葉だよね。そんなこといわなくたって、既に最上級の自分らしさになっているじゃないかねえ。こんなはずじゃないわとほざくのが自分らしい、本当にやりたいことをやる!というのは勝手にどうぞの自分らしさ、本当の自分と同じだな。そう、本当の自分は今が本当の自分だからね。ウジウジしている姿、情けなさ、バカ、くすぶっている、そういうのが本当の自分だね。違う自分さがせば、違う自分になれば?他人らしくしてみたら?あーあ。