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カテゴリ:栃木の風景
10日後にJRのダイヤ改訂があります。毎度のダイヤ改訂でチェックするのは朝の上り新幹線の宇都宮発車時刻ですが、今回の改訂で始業ギリギリ列車の発車時刻が2分早くなっていました。朝の2分は大きいですね。
鉄道旅行好きが高じて国鉄全線完乗を果たし作家となった宮脇俊三氏ですが、鉄道以外の乗り物を毛嫌いしているかというとそうではなく、「鉄道では行けない山村や漁村へ通じている」ローカルバスに乗り鉄道のその先を訪れたいという願望を持っていらっしゃいました。 その願望を月刊誌「旅」誌上で叶え、2年間にわたってローカルバスの終点への旅を連載しましたが、バス路線の選択には次の4つの基準を設けています。 1.乗車時間は1時間以上 2.行き先が有名観光地ではないこと 3.行楽や登山シーズンのみ運転の路線は除く 4.未知の路線、終点であること 関東北部から東北南部にかけての地域でこの条件にあてはまる路線バスは中々見つかりませんでしたが、氏がようやく見つけたのが旧西那須野町(現那須塩原市)から旧黒羽町(現大田原市)の雲巌寺(うんがんじ)へ至る東野バス路線でした。 この地域の代表としてこの路線に乗ることを決めましたが、更に先まで町営バスが運行されていたので、その終点である帝林社宅前バス停まで足を伸ばしています。バス停の名は終点近くに帝国造林という林業会社の社宅があるからのようです。 1988(昭63)年4月26日に宮脇氏が訪れた当時は西那須野~黒羽~雲巌寺が東野バス、その先が黒羽町営バスでしたが、20年経った今日では西那須野~黒羽が東野交通、黒羽以東は大田原市営バスによって運行されています。 宮脇氏は西那須野から雲巌寺へ向かう途中旧黒羽町中心を散策していますが、旧黒羽町は「おくの細道」を旅した松尾芭蕉が13日も滞在しています。これほど長く逗留した町は他にないようです。芭蕉は雲厳寺にも訪れており、 啄木も庵はやぶらず夏木立 -きつつきもいおはやぶらずなつこだち- の句を残しています。 黒羽町散策を終え再びバスに乗って雲巌寺に着いた宮脇氏、眼前に広がる雲巌寺に威圧され、「襟を正す気分になって石段を上り、頭上を圧する山門をくぐる」と記しています。 (正面から見る雲巌寺 -大田原市雲岩寺 -H16.9.19-) 雲巌寺(始発は手前の工沢)~帝林社宅前の市営バスは平日は朝夕あわせて3往復、土曜は2.5往復、日曜日は運休というダイヤで、完全に地元の通学生向けとなっているようです。これは宮脇氏が訪れた当時と変っていないようです。 雲巌寺から細道を約15分走ると、終点の帝林社宅前に至ります。道は更に続き八溝山地を越えますが、この先は人家もありません。 (終点の帝林社宅前バス停 -H16.9.19-) このようなダイヤなので、私は雲巌寺を訪れた過去2度ともその姿を見たことがありません。宮脇氏の作品によると、バスはマイクロバスで「乗用車のようなスピードで走る」のだそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月06日 00時42分58秒
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