他人の身になって考えるということ
他人の身になって考える、ということはとても難しい。自分の気持ちを他人の気持ちに寄せていくのだから、下手すりゃ我侭を押し付ける可能性もある。それから、予測ができないといけないんじゃないかと思う。こうすれば喜んでくれる。こう言えば傷つけてしまう。これは予測の能力だ。今ある状態に対して行うことでも同じく予測なんだと思う。悲しみに暮れている他人を慰めるのも、癒すことが出来れば、という予測の下だしね。そう考えると、「今を生きる。」「今こそ大事。」と言っても、それは次の瞬間のために行っていることなんだから、やっぱり予測なんだろう。その予測を、どれだけ近く、遠く、狭く、広く、浅く、深くできるかで、その人の人となりが大きく決まるのかもしれないな。なんてことを、相変わらず叫び声の飛び交う牛丼屋で、牛丼大盛を頬張りながら考えた昼休みでした。