日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する
小室直樹先生の本、小室直樹先生は、確か2年前くらいから松下政経塾で塾生に話をするようになった。自分も審査会のプレ審査のときに小室先生もいる中でプレゼンをさせていただいたこともある。今年の24期生の卒塾式にもお見えになられた。 今の日本は、日本人が日本に対しての誇りを失い、連帯を失っている状態で、また日本に伝統主義がはびこっており、これでは日本がダメになってしまうという小室先生の危機感を表明する警世の書。 まずは、伝統主義とは、伝統を重んじるという意味ではない。ヴェーバーが説いた伝統主義とは、「良い伝統を守り、悪い伝統は捨てる」という合理的なものではなく、「過去に行われてきたものは、とにかく正しい」とするものである。ヴェーバーは、「永遠なる昨日的なもの」と表現している。そして、この伝統主義の打破が資本主義の成立の必要条件であることが、シュンペーターの「資本主義の本質は革新(イノベーション)にありとする」言葉を引いて説明される。一方、日本は、伝統主義にとらわれており、その点で資本主義になりきれていないことを説く。”前例”という名の伝統主義に… 日本はペリーの砲艦外交により交わされた不平等条約(治外法権や関税自主権喪失)を改正するために、欧米のような資本主義国を目指す。資本主義が機能するように法システムを整備し、資本家と労働者を生むための教育システムを作り上げ、リベラル・デモクラシーが作動しうるような立憲政治を確立することに取り組む。しかしそれは法律も教育も、条約改正の政治の手段として欧米のシステムを取り入れることに主眼が置かれるというある意味本末転倒なものであった(国民教育については当時の列強を上回る普及率になるが…)明治憲法の発布し、立憲政治を敷いたのも同じ理由。そして、この無理な制度導入が伝統主義によって引きづられていくことが説かれる。 なぜ、今の日本が無連帯(アノミー)に陥ったのかについては、戦後日本が軸を失ったことが最大の原因であることを説いている。戦前は、天皇を軸としていた。いわゆる現人神という思想。なぜ、天皇が機軸になったのか、それは欧米の立憲政治の基礎には宗教=キリスト教という機軸があるが、日本には宗教はあれど欧米のように機軸になるほどのものではなかったからだ。日本で立憲政治を実現するには機軸が必要であると考えた明治の指導者(特に伊藤博文)は、その機軸を天皇とすることを決める。しかし、それがすぐにうまくいったわけではない。鎌倉以来の長きに渡る武家政権(途中に建武新政があるが)により天皇は一般民衆にとっては程遠い存在であった。幕末に尊皇思想が流布されるが、それは基本的には武士層に対してあって、一般民衆には程遠く、江戸が東京になっても、市民はその天皇をバカにすることが行われ、明治政府は必死にPRするが、なかなか浸透しなかった。それが、天皇を頂点にいただく軍隊の日清戦争の勝利が契機になり、日露戦争の軍事大国ロシアへの奇蹟的な勝利により、天皇が一般民衆にも神としての存在を確立した。日清・日露を経てようやく機軸ができたわけだが、それが戦後のGHQの占領統治で、天皇の人間宣言というカリスマが自らカリスマを否定するという形で、いきなりそれまの機軸がなくなってしまった。そして東京裁判という勝者による敗者の一方的な裁判によって形成され「東京裁判史観」により、自分たちがいつまでも悪かったと過去を否定し続けさせられることにより誇りを持つこともできないことがアノミーになっていることを説き、「東京裁判」については、さまざまな点から疑問が提示されている。 改めて今の日本の苦しい様の原因の奥深さを思い知らされる1冊だった。日本国民に告ぐ ~誇りなき国家は、滅亡する~著:小室直樹 発行所:ワック株式会社2005年12月14日初版 定価:1,600円+税