カテゴリ:歴史
いやあ、今週は忙しかったなあ。
ちなみに来週も忙しかったりして。 厄介なプロジェクトに入ってしまったものです。 今週は新聞もテレビのニュースも選挙の話題ばかりでいささか食傷気味です。テレビはそんなに見ていませんが。選挙なんて結果のみが大事であって選挙期間中の動きなんかはっきりいってどうでも良いです。 そういうわけで選挙に関する話題には一切触れません。 今日の話題はこれ。 羽曳野古墳:未盗掘、三角縁神獣鏡なども出土 大阪 古墳:4世紀・未盗掘の前方後方墳を発見 ヤマト政権論争に一石--大阪・羽曳野(毎日) 奈良の山奥とかならありがちな話ですが、大阪でそんなものが出てくるとは。 しかも未盗掘だというのがポイント高いですね。 まあ、そこから見つかった三角縁神獣鏡は、近畿圏ではけっこう色々な所で発掘されているので別にどうということはないんですけどね。 記事で『中国製とみられる』と書かれている三角縁神獣鏡というのは、魏志東夷伝・倭人の条(所謂、魏志倭人伝)に書かれているヒミコに贈られた銅鏡百枚のことではないかとされ、実際、原料は当時の支那産であることが科学的にはほぼ確実です。この鏡が近畿圏では大量に発見されている為に『邪馬台国畿内説』の有力な根拠の一つにもなっています。 しかし、支那大陸からはこの鏡が一枚も出土していなかったり、中国史に存在しない年号(大正16年とか昭和65年みたいな年号)の銘をもつ鏡が出てくるに及び、ほとんど、あるいは全てが日本製ではないかという説もあります。日本人はオリジナルの猿真似で終わらず、時にオリジナルを超越するほど独自に発展させるのが天才的に巧いというのは歴史が証明していますから、オリジナルの鏡を基に三角縁神獣鏡という日本独自の鏡を開発したというのは充分考えられる説です。 また記事には『ヤマト政権の本拠地論争にも一石を投じそうだ。』とも書いていますが、この発見が大和政権の本拠地論争に与える影響はさして無いでしょう。前述の通り三角縁神獣鏡は真新しい発見ではありませんし、どう考えてもこの古墳が『大王』のものとは思えませんから。 だいたい、大和政権時代の本拠地は複数あったと考えるのが自然というものです。 天皇が崩ずると死穢を嫌って遷都、天変地異が起きると縁起が悪いので遷都なんていう非効率的かつ非経済的なことをやっていましたからね。私の知る限りでは、少なくとも聖徳太子の時代から平城京ができるまでは確実に。それ以前も10年や20年くらいで普通に遷都していたのは容易に想像できるというものです。 もっとも、これは当時の政権がそんなにしょっちゅう遷都できるほど広範囲を治めていたというのが前提の話であって、発見された古墳と同時代の3世紀後半というとそこまで治まってはいないかもしれませんから(へたすると群雄割拠かも)、この時期限定となるとまた話は違ってきますが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月03日 01時54分22秒
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