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ホンダT360公道復帰

・・説明その・3

クランクシャフト用ニードルローラーベアリングは何度か書いた。
ホンダ関係の本にはこのベアリングで高速回転が可能になったと有る、ベンツ関係の本にはローラーベアリングを用いるとエンジンを短くまとめる事が可能となり、コンパクトと軽量化から決定したと有る。
もちろんW196や300SLRのグランプリカー中心だがホンダは軽トラック。

たぶん両方の長所が有りホンダは高速回転に重きを置いたのでは。欠点は複雑高価な点。
組み立て式クランクはホンダには複雑なクランクを加工する工作機械がまだ無かったから。
中村としてはローラーベアリングは必ずしも必要とは考えてなかったが「転がり軸受け(ローラーベアリング)は社長の決定的な強烈な前提条件で私が引き下がざるおえなかった」と書いている。

戦後の自動車の発展を本で見ていくと、1960年代が一番輝いている・・
年代別に5段階に分けられているが、実に上手く分けてある。

1946~60年 純国産化の時代
1961~70年 マイカー時代の幕開け
1971~80年 試練の時を迎えて
1981~90年 世界を視野に捉えて
1991~00年 迫られる技術革新

60年代には現在お馴染みのネームが出揃う。
63年、T360の発売年にはブルーバード1200(410)アヒルのお尻といわれていたが私には「柿の種」に見えた。ベレット、コルト1000、コンテッサ900、グロリア、ファミリア、セドリック・エステートワゴンなどが出ている。
60年前半は今見ても、すでに完成された車だ、1967年にはマイカーの駄目押しとしてホンダN360が出てくる。(年表をみると遅すぎた)

他のメーカーが何処もマイカー優先でカローラ対サニー戦争なんかしてるのに、ホンダはDOHCの軽トラと需要が見込めないオープン・スポーツカーだけを作っていた。
年表を見ても変な会社だが、トヨタに次いで第二位のメーカーになってしまった。

トヨタとホンダ以外の社長はいつのまにか、みな外人。

T360は軽トラ、普通車タイプのT500もある。
T500のスペックを教えて欲しいとのメールをいただいたので、下記に。

T500はT360の1年後に発売、1964年9月~1967年11月までに10226台生産された。以前にも書いたがT500は輸出が多いので、国内の生存率はT360よりも少ない、はずだ? 海外には日本よりも多く残っているかもしれない。オーストラリアにも何台か残っている。
国内では普通車登録になるので税金で不利。当時、普通トラックはトヨタ社のトヨエース(1000cc)がダントツ、この車が当時隆盛を誇っていた3輪トラックを絶滅させた。
もし、3輪車がまだ活躍していたら、T360(500)の設計者中村良夫は「くろがね」にいたのでT360もSも存在しなかったし、
勿論、ホンダのF1進出は絶対なかった。 中村良夫はトヨエースには恨み辛みが有るのか良く書いていた。

名称 T500  型式AK280

排気量 531cc(354)    最高出力 38/7500
最高速 105km(100)    燃費 18L (17)
全長 3190mm(2990)   全高 1545(1525)
車輌重量 640kg(610)   

エンジン内径とストローク 54x58(49x47)
圧縮比 9.5(8.59)

カッコ内はT360の諸元、タイヤサイズ、幅、車軸距離などはT360と同じだが、荷台が20Cm長くなるのでT360との区別は一目瞭然。色はモスグリーンのみと思われる。
キャビン(運転席)などはT360とまったく同じと思われる(実物は見てないので)車高が2cm高いのはスプリングの違い。
価格はT360の26000円アップ。

T360の形式番号はAK250、T500はAK280、S360はAS250ですが、中村良夫の本にはT360をAK360と書いている。
最初勘違いをしているのかと思ったが、「HONDA F1」二玄社刊12000円にもAK360と書いてありAK250とは一言も書いてない。
推測ですが、AK360で開発したが、通産省登録に際しAK360は余りに平凡な為、すでに登録が有りやむなく250にしたと考えられる。
Aはオートモービル、Kはカーゴか貨物、Sはスポーツだから平凡。当時、大小のメーカー、町工場が軽トラを生産してたので、この番号ならすでに使用されていたはず。

T360の車庫証明取得の際、型式AK250と書いたら 余りに簡単な番号なので「後も書いてください」と言われ、書類を見せたらOKでしたが、納得してないようでした。 ホンダ1号車だから番号スッキリ。

ホンダT360~ホンダS800Mまでのキャブを分類すると36種類ある、これが定説。T360では7種類、京浜CVキャブと三国ソレックスとある。三国は前期と後期の2種類が定説だが、2種類に分類されないキャブが出てきたらしい。なんでも有りのT360驚きはしない、この当時のキャブ納品単位は50~100個単位なので調子の悪いとこが発生すると、スグ変更したので厳密にキャブレターの変更点を調べて行くのは不可能。
現存するT360についてはキャブを正確に分類していくと面白いかも・・・
CVキャブは本来安定し故障が少ないのだが、ダイヤフラムとシャフトの給油フエルトなどが経年変化で壊れる。ダイヤフラムは昔から単品の部品として出ないのでユニット交換になる、慎重に扱わないと高くつく。それでも部品が出れば良いが今となっては無理。
ホンダのキャブは調整よりキャブ交換が普通なので、交換部品欠品の場合は気が重くなる・・・

T360のキャブはもともと専用で開発されたが、発売されなかったS360のキャブも対策品として使われている。T360の試行錯誤はSシリーズでは解消されている??

今月のオールドタイマー誌に戦前のライダー多田健蔵の記事が出ている。
多田は昭和5年、今から73年前に単身イギリス・マン島のTTレースに出場、初参加初入賞の偉業を達成しイギリスのレース界に衝撃を与えた。

T360の設計者中村良夫は始めてマン島に行った時、バーで初老の紳士から「タダ・ケンゾウを知っているか」と聞かれたので、名前は聞いたことあるが知らないと答えると、紳士はがっかりして帰って行ったと著書に書いている。
返事の仕方がそっけなかったのか、悪いと思ったのか、何時までも覚えていた。
これには2通り考えられる。まず、中村は自動車にしか興味が無くバイクは一段低く見ていた、といっても会社の金でマン島まで行けたのだから好き嫌いの問題ではないし・・・

多田は本田宗一郎とは多摩川オートレース時代からの仲間なので本田はマン島については中村より良く知っていた、ホンダのマン島参戦は多田の顔で出れたし、複雑な事務手続きも多田がしていた。東大出、ジェットエンジン開発では直接東条首相から激励を受けていた、ホンダ1番のインテリ中村としては面白くなかったのでは?
本田宗一郎も多田も丁稚奉公からのたたき上げ、中村とは水が合わなかったはず。
まぁ~いろいろあったと思う。

中村良夫もバイクはすでに先駆者がいるので、だれもやっていない自動車グランプリを目指したのかも知れない??

「軽自動車誕生の記録」によると、ホンダT360の発売された昭和38年の軽トラ総販売台数は31万3883台。
T360は4年の販売期間中10万892台販売された。
38年からの4年間軽トラ総販売台数を合計すると154万3154台になる。

割り算すればT360の市場占有率は6%、この数字をどう判断したものか。ツインカム・軽トラとすれば善戦とも見れるし、作れば何でも売れたあの時代に6%のシェアーは少ないような・・・

昨年の鈴鹿ミーティングでお話できた大阪のT360名人「Kさん」は昭和39年、大阪のホンダ販売店に入社した。18歳だった。
オートバイが大好きだったので、カブやCB72の2輪販売実績のある中規模の工場を選んだ。

T360の発売は昭和38年。Kさん入社の年、39年に販売店(協力店)配車があった。この当時にはホンダSFはまだ無く、自転車かバイク店だった。
工場では車は扱った事が無く、配車の時にはただららぬ緊張感が張り詰めていたと、雑誌OT誌に書いている。
前代未聞のツインカムトラックを扱うのに、事前研修も無く、4輪車を扱ったこともなく、ぶっつけ本番だった。

大阪のこの工場ではT360は良く売れた。スバルサンバー30万円、ミゼット23万円の時代にT360は34万円と高かったが30馬力の高馬力は魅力的だった。
営業にはツインカムとか4キャブなどは関係無く、積載量と時速100km出る、これだけで売れたらしい。

売れれば修理が付きまとう訳なので、4キャブの修理がどっとやって来た・・・明日修理編。


宗一郎が車開発に関して第1号の指示は「軽四輪、4気筒、後は任せる」と、T360設計者中村良夫は書いている。

軽四輪については、現実的に売れそうだから、普通車はまだ贅沢品、軽四輪からスタートするのが常識と思う。

4気筒の指示は宗一郎の強い意気込みを感じる。昭和の初めから欧米では水冷4気筒4サイクルエンジンが普通であり、高級車は8気筒などだが基本は4気筒。このエンジンにすると騒音振動が少なく、自動車と言えるものであった。
それ以外、空冷2気筒2サイクルなどのエンジンは簡易型自動車、応急的な安物と見られていた。

昭和10年に画期的国産乗用車「ダットサン」が出る。水冷4気筒4サイクル500cc、チッポケな車であったが欧米から見ても完成された自動車であった。
この車は旧車イベントなどではよく見れる、現存台数も多い。
水冷4気筒4サイクル360ccを作ればそれだけで本物の自動車メーカーと呼ばれるので、最初から自動車メーカーを狙った。

欧米では騒音振動の多い車は全て安物と見られていたので、本田宗一郎は最初から4気筒エンジンを指示したと思う。
バイクで小排気量マルチ化はホンダの得意とするとこ、360cc4気筒作るぐらいは朝飯前。

もっと凄いのは、最初に開発した軽四輪のエンジンでF-1参戦も視野に入れてた。

一昨日ホンダTN360を出したので、ホンダ軽トラの系譜を。
T360の後継車種がTN360、NはN360の2気筒空冷エンジンを改良して搭載したから。
水冷4気筒からなんの脈略もない2気筒エンジンにするとは、大胆。
普通のメーカーなら多少とも前車の影響を受けるが、TとTNでは全くつながりが無い、ホンダらしい作り方だ。

TN360はTN3,TN5,TN7が最後のTN360と呼ばれている。軽四輪の排気量が550ccになると現在のアクティーと呼ばれる。
下に、TN360の映像リンクを貼り付けた。この形は正式名称ではないがTN0(ゼロ)と呼ばれている初期型である、ライトのメッキリングが特徴。TN5からは縦型4灯ヘッドライトとなりご存知の方も多いかと。

このTN360もクローラを履いているがT360用クローラとは若干違う。

http://www.honda.co.jp/news/1969/4691101.html

 
引き続きボツボツUPします・・・



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