炬燵蜜柑倶楽部。

2005/06/27(月)06:34

2WEEKS、もしくはひまわりと太陽(6)第一章その5

調べもの(79)

「村雨さん」  彼は声を掛けた。ぴくん、と飛び跳ねる様に、村雨は顔を上げる。眼鏡の下の目が、大きく丸く開いた。 「な、何でしょう」 「ええと、…あ、村雨さん」 「は、は、はい」 「ええと…オレ五年に、教育実習で来てるんだけど、司書の先生から、貸出のことは君に聞いて、って言われて」 「か、貸出ですね、はい」  何を焦っているのだろう、と高村はその態度に驚く。 「ええと、…あ、でもこれ『禁帯出』ですね…ええと…」  彼女の視線は、本と高村の間を忙しなく往復する。 「あ、高村だよ」 「高村…せんせい。はい。ああ…どうしましょう」  ばたん、と彼女は司書室の扉を大きく開ける。禁帯出の本の貸し出しはどうしましょう、と泣きそうな声で問いかけているのが高村の耳に飛び込んでくる。 「あーあ、またかあ…」  後ろで、五年五組の女生徒が本を玩びながらつぶやいていた。 「また?」 「あ、高村せんせーだぁ。そぉ、また」  ねー、と更に後ろに居た女生徒と顔を見合わせる。 「そぉ。いっつもあのひとそうだよ」 「きゃ!」  声と共に、飛び出してきた村雨の姿がカウンターから消えた。何かが崩れる音と共に、痛ぁ、という声が下から聞こえる。 「お、おい、大丈夫かよ?」  高村は思わずカウンターの中をのぞき込んでいた。するとそこには、転がった村雨が必死で立ち上がろうとしていた。 「だ、大丈夫です…な、慣れてます~」  良く見ると、床は未整理の本でごちゃごちゃと散らかっていた。どうやら、つまづいたらしい。 「ええと、すみません、あの、この本の手続きは」  置かれ直した本がじっとりと濡れていることに高村は驚く。良く見ると、村雨の手がびっしょりと汗をかいていたのだ。  やがて彼は、次第に背後の気配が増えてくるのに気付いた。自分一人にかまけているうちに、貸出希望の生徒が列をなしてきたのだ。昼休みの終わりも迫ってきていた。 「ああもうっ! また先輩!」  不意にぱたぱた、と声と共に、列の中から一人の女生徒が飛び出して来た。そしてカウンターの中にするりと入り込み、村雨を横に押しのける。 「先輩は、この先生の分だけ、やっていて下さい。あたし、この後ろを担当します。お願いします」  言葉は丁寧だが、態度はぞんざいだった。 「あ、…はい、ごめんなさい」  ぺこん、と村雨は後輩の委員に頭を下げた。 「じゃ、すみません、高村先生、こっちにちょっと…」  入り口に近い方へ高村は促された。ちら、と見ると、後輩の委員はてきぱきと貸出者の処理をこなしていた。 「…どうもすみません…あたし、いつもこうで」 「…いや別に、いいよ。オレもそんな、急いでないし…」 「だけど先生、もう次の授業…」  え、と慌てて時計を見る。いけね、と彼は大きく頭を振った。どうやら自分まで、この村雨のテンポに巻き込まれそうだった。 「あ、垣内先輩、お久しぶりです!」  その時、後輩委員の声が、急に弾んだものになった。 「あれ、今日は君が当番だった?」  低い声が問いかける。先輩。六年か。高村は思う。 「今日はこっちの村雨先輩です。あたしは助っ人!」 「ああ…」  ちら、と垣内と呼ばれた男子生徒は、村雨と高村の両方を交互に見て、微かに笑った。 「先輩がぁ、またぐずぐずしてるからあ」 「いいじゃない。その分、君等後輩が、しっかりしているんだから」  言うなあ、と高村は思った。そうですね、と後輩委員はその言葉に気を良くしている。それに声もいい。深いバリトンだ。背も高いし、肩幅も結構ある。やせぎすな自分よりずっといい身体だった。  なるほど、人気者の先輩ってことか。高村は納得する。 「村雨さんも、がんばってね」 「あ…ごめんなさい」  ぺこん、と村雨は出て行く垣内に頭を下げた。その様子を見て、高村は軽く眉を寄せる。 「いつも、そうなの?」 「え?」 「いや…村雨さん、さっきから何度も何度も、頭下げてるから」 「あ、だって…あたし色々、すぐに皆に二度手間三度手間とか掛けさせてしまうから…」 「…じゃ、なくてさ」  ううん、と高村は再び眉を寄せた。  何と言ったらいいんだろう。彼は自分のボキャブラリイの無さに呆れるだけだった。 「だから、頭を下げるのは…」  キーン・コーン…  チャイムの音が言葉を遮った。 「あ、時間です」  村雨は何気なく口にする。まずい、と高村は本を抱えて図書室を飛び出した。 「また今度!」  思わず彼は、そう叫んでいた。  また今度。  彼女には、きっとまた会う様な気がしていた。 * 「はあ…」  部屋の電気を点け、スーツの上着を放り出した瞬間、高村は大きくため息をついた。  そのまま座卓の前に座り込み、ミニコンポのスイッチを入れる。古典的パンクを模したバンドの音が、部屋中に流れ出す。  イカサマな、切れた様な音が好きで、彼は大学の受験勉強の頃も、よくそのディスクを繰り返し流していた。  座卓の上には新聞と、菓子パン半分が置かれたままだった。  今朝読む暇の無かった新聞を床に放り出し、菓子パンを口に放り込む。かさかさに乾いているそれに顔をしかめ、彼はキッチンへミルクを補給に立った。  密度の高い、充実した一日だった気がする。だがこれが二週間も続くと思うと、ややうんざりする。  鞄の中から、本やノート、教頭から配られた日程表のコピーなどを取り出し、座卓の上に広げる。これから改めて腹ごしらえをしたら、取り組まなくてはならない諸々。  日程表には、二週間の予定がぎっしりと記されている。 「ん?」  ふとその一点に、彼の視線が止まる。  「第一日目」の予定の最初に、「朝礼」という文字がある。 「やっぱり予定にはあったんだよなあ…」  だけど結局、朝礼は無かった。その結果、校内のあちこちで、彼を知ってる者、知らない者がまちまちだった。  そう言えば、どうして朝礼が無かったのだろう? 事務員も南雲も、自分のせいではない、と言っていたが。  まあ自分のせいじゃないなら、いいか。  彼はそう思いながら、放り出した上着と、クローゼットに並ぶ柄シャツを眺めた。  …そう言えば、まともに履いて行けるズボンなんてあっただろうか?

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