炬燵蜜柑倶楽部。

2005/08/24(水)06:40

わるつ(15)第四章その2

NK関係(202)

 終わったことがはっきりした時、屋上でぼーっとしている俺に、紗里はあんた馬鹿か、と素っ気なくも容赦なく言った。  言いながら何故か、金網ごしに遠くに見える海を眺めている俺の背中をその温みと重さで襲撃した。そして何となく、俺達はそういう関係になった。  関係を持ってから、恋人になった。熱病のような感情がはじまったのだ。妙なものである。  卒業して俺が家を飛び出すまで、その関係は続いた。関係を終わらせたのは、俺だ。  そして彼女は今はまた、友達なのだ。  頭が混乱している。そんな時に頼れるのが彼女しかいないというのは何やらひどく不思議だった。実際、他の誰に頼れるというのだろう。  ケンショーを初めとして、音楽関係の界隈に、俺はそんなところは見せたくはなかった。  無論人間だから弱いところなぞ山ほどある。だが、それは、今現在楽しみつつも戦っているその場では、見せたくないものなのだ。  紗里はそれとは別の次元で生きている、だけど俺のかけがいのない友達だった。俺の情けない所を知り尽くしている、唯一の友達だった。  チャイムを鳴らすと、やや眠そうな顔をして、彼女は扉を開けた。もう風呂には入ったらしい。髪が半分濡れていた。 「…遅いよ」 「しょうがないだろ。歩いてきたんだ」 「いいけどね」  早く入んなよ、と彼女は俺の肩越しに扉を大きく開いた。近づく身体から、体温と、シャンプーの香りが感じられる。既に眠る準備態勢だったのだろう。深い赤に、端だけがアイボリーのパジャマの上下を着ていた。 「何があったの?」  何かあったの、ではない。何かがあったことなど、言わなくても判るのだろう。当然だ。扉が閉まる。チェーンがかかる。  いつものように、俺はワンルームの彼女の部屋の、きちんと片づいた丸い白木テーブルのそばに座った。紗里は綺麗好きだ。俺もそうちらかす方ではないが、彼女の方がまめに掃除や整頓はする。趣味が無いからよ、と彼女は言うが、それだけではないだろう。  ほい、とテーブルの上にまずコースター、そして大きなガラスのコップが置かれた。自分の分も置いたあと、冷蔵庫からペットボトルを出しながら彼女は言葉を投げた。 「明日が休みで良かったよねあんた」  全くだ、と俺は思う。週末なのだ。もう日付はあれから変わっていた。もうあと三時間もすれば夜明けが来る。  昼間のOLである彼女は、夜そう強くない。ペットボトルのスポーツドリンクを抱えて座り込みながらも、何やらいつもより気だるそうに首を回しているし、生あくびばかりしている。 「本当にごめん」 「ごめんと言う気があるなら、白状なさい。何があったの」  とぷとぷと音をさせてドリンクを注ぎながら彼女は訊ねた。だが俺は口ごもった。とりあえずは彼女が注いでくれたドリンクを飲み干すことで時間を稼いだ。無論そんなものは、一分にも満たない。 「あたしだって聖人君子じゃあないからね。ちょっとは怒ってるんだよ?聞く権利くらいあるとは思うけど」 「…うん。悪い。…だけど」  だけど?と彼女はその言葉を繰り返した。俺は頭の中を整理し始める。  つまりは。 「迫られたんだ」  はあ、と彼女は乾いた口調でうなづいた。 「迫られて、逃げ出したの?」  そういうことに、なるんだろう。俺は素直にうなづいた。 「何で」 「何でって…」 「別にあんた、据え膳は拒まないじゃないの。どういう風の吹き回し?」 「お前なあ…俺そんな、誰でもいいって訳じゃないぞ」 「知ってるよ。でもあんたがこの時間、行くとこが無いなんていうんじゃ、その子はあんたのうちに居るんでしょ」  ぴく、と俺は自分の頬がけいれんするのを覚えた。全く筋道立てて考える女っていうのは。 「外で、誰かバンドのファンやらおっかけやらに迫られるぐらいだったら、あんたのことだから家に帰って寝ちゃえばおしまいじゃない。あんたがわざわざ外に助けを求めるなんてさ」  おそらく眠いせいなんだろう。彼女の言葉はいつも以上に辛辣だった。  でしょ、とそして彼女は俺に同意をうながした。ああ、と俺はうなづいた。間違ってはいないのだ、彼女の予想することは。…ただ一点をのぞいて。 「…嫌いじゃあないんだ」  俺は重くなりそうな口を開いた。 「でも好きという訳でもない?」 「判らない。そもそもそういう感情で見たためしが無いんだ」 「ふうん」  そうだ。実際そんな目で見たことはないのだ。確かに可愛いとは思う。最初からそう思っている。うちの猫と何処か似ている。俺は猫好きだ。  だがそれはあくまで雰囲気とか、そんな問題であり、それだからどうだ、というところまで考える問題じゃあないのだ。 「じゃあどうしてあんたが迫られるのよ。その子はあんたのことが好きなんじゃないの?」 「…別にそういう訳じゃないだろ」 「普通は好きじゃないと迫るまではしないわよ」  紗里はきっぱりと言った。そして喉が乾いたとばかりに、一口、ドリンクを口に含む。俺はその様子を正面に目にしながら、違うよ、と付け足した。 「違わないわよ」 「違うよ。だって奴自身がそう言ったんだ。週末に居る人がいないと寂しいからって」 「つまりは誰でもいい、ということ?」  再び心臓が飛び跳ねた。それだけではない。背中の血が一瞬引いた。  それは初めから知っていることだ。なのに、何故そんな言葉でそんな感覚が起きるんだろう。 「そうじゃあないの?」  彼女は追い打ちをかけるように問いかける。俺は左の手で、自分の左の首筋に手を触れた。回された手。触れられた乾いた唇。あの触感が、伝わった熱が、突然思い起こされた。 「…オズ?」

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