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どういうことだろう。
煌はカップを手にする。飲む素振りをしながら考える。 埒のない話。飛びに飛ぶ、意味ありげな言葉達。 からかっているのか? それとも、惑わすつもりなのだろうか? 煌は考える。ただ考える。 その可能性は無くも無い。 だがその一方で、そんなことをしてどうする、と冷静に考える自分も居る。 自分に対してその様なことをすることでメリットがあるのか。 冷静に考える。あくまで相手を他人と見なして。 他人。そう他人なのだ。 ふんわりとした明るい、長い髪。大きな目。柔らかそうな頬、飾り気一つ無くともほの赤い唇。 記憶の中の面差しは、確かにその中にある。これは蜜だ。煌の全身がわめいている。まだスモック姿でとことこと歩いていた頃から追いかけ、手をつなぎ、抱き締め、一緒のクッションで寄り添って眠った相手だ。 だが。 その一方で頭は、心は叫んでいる。これは違うこれは違うこれは違う。 蜜じゃない。この女は蜜じゃあない。 彼女にとってこの目の前に居る女性は、姉の姿をした別の人物なのだ。 別の人格が、姉の身体を動かしている。そんな違和感が煌を何処か苛立たせていた。 姉は―――塔矢蜜、という名を持つ少女は、多重人格者だった。 誰もそのことを、五年前「峰野羽」と名乗っていた彼女に知らされるまで、知らなかった。 多重人格と言っても様々である。 研究され、判明している部分は確かにある。 だが人の脳の中、心の中、肉体に囲われたブラックボックスは、そう簡単にその秘密をあかしはしない。 蜜/羽の場合もそうだった。 だから。 「花がどうしたというんだ」 煌はダイレクトに問い掛けた。 「もう少し判る様に話して欲しい。あなたはアゲハなんだろう? だったら、少なくとも、あのひとよりは、そうできるはずじゃあないのか?」 「ええ確かに」 アゲハはうなづいた。 「ただ、私にも判らないことはあるのです」 「あなたでも、か?」 はっ、と煌は口元を歪めた。アゲハの表情は変わらない。 「ハニイの姿が見えません」 「え?」 「起きないのです」 「…起きない?」 「と言うか」 何と言いましょうね、とアゲハは軽く目を伏せ、首を傾げた。 「ある朝起きたら、私だったんです」 「あなただった? …あなた達は、普段は」 「向こうでのこの身体の主導権を握っているのはハニイです。私ではない」 「あなたの方が冷静だ。普通だろう。それがたとえ日本じゃなくても、向こうでも、あなたの方が、その場に合わせることができるはずだ」 「ええ。でも彼女にその必要は無いですから」 「…ああ」 煌は現在の姉の環境を思い出す。 父の友人の一人である元中国棋院の棋士・揚海。現在は上海や香港を基点に電脳中心の産業で名の知れた人物。姉は、その揚海の「養女」となっているはずである。 「大事にされているんだな」 「ええ」 アゲハはうなづく。 「彼は、ハニイのことを非常に大事にしてくれます。それこそ風にも当てぬ程」 「風にも! でも、あなたなら、いいんだ」 一人で行く、と手紙にはあった。そして実際、アゲハは一人で来た。 蜜だったら決してそんなことはさせまい。煌の記憶の中の蜜と、今の蜜がつながっている存在だったとしてなら、絶対。 ほんの少しの嫌味を込めて、煌は吐き捨てる様に言う。 「ええ。私はそういう役割です」 「役割」 「元々、誰一人として頼る者の無い場所でも、彼女が生きていくための。それが私です」 ぐっ、と煌は詰まる。真剣なまなざし。そこには姉の持つあの茫洋とした色は無い。むしろ「親父」の持つ勝負時のそれに近いものがある。 「だけど私は彼女の為に存在します。彼女が居なくては、私は存在できません。この身体の主は彼女です。あくまでも、ハニイが居るから私は居るのです。ハニイが必要とした時私は表に出る。私は彼女のことわりが無ければ表に出ることはまず最近では無かったはず―――なのに」 どうしたものでしょうね、と彼女は苦笑する。 「ある朝起きたら、久しぶりの感覚がありました。私は眠いのです。少しエア・コンディショナが効きすぎたせいで寒かったから、と寝直そうとしていたのです。…うとうとしかけて、気付きました。『私が』寝ようとしているじゃないですか!」 「寝ないのか? あなたは」 「意識的に眠るのはハニイです。私ではありません」 「私は彼女に引きずられる形で眠りにつきます。起きるのも同様です。私が既に意識を覚醒させていたとしても、身体が起きようとはしないのです」 「なのにその朝、起きて眠かったのは、あなただと」 「ええ。そして、夢が残ってました」 「夢が」 「その夢の中に、花が」 「花が」 「あれは、記憶だ、と私は思いました。ひどく生々しかった。うねうねと」 「…うねうね?」 煌はますます判らなくなる。 「それじゃ何だ、動く花でも、昔、見つけたとでも、言うのか?」 「キラさん…」 苦笑。それにはアゲハは答えなかった。 そして代わりに口にしたのは。 「お願いがあります」 「何」 「小学校へ」 「…小学校?」 「ハニイの居た、―――あなたも通ってましたね、小学校へ、行きたいのです」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.24 18:53:06
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