2007/10/28(日)11:43
うつほに吹く風 第二部(102)第九章その5
さてその娘が四つの夏のことである。
俊蔭は娘が技芸を習得するのにちょうどいい年頃になったと感じた。そこで自分が命を賭けて習った琴を教えようと決心した。
そこであの波斯国から持ち帰った琴を取り出すと「なん風」「はし風」の二つは誰に言わずに隠しておき、残りの十の琴のうち、三つを残して、あとは周囲の人々に送ることにした。
まず娘には「りゅうかく風」を習得用に残した。自分のためには「ほそお風」を。そして家のために「やどもり風」を。
残り七つは、まず帝に「せた風」を。
「山もり風」は当時の后の宮に。
「花園風」は当時の東宮に。
「みやこ風」はその東宮の女御に。
「かたち風」は当時の左大臣忠恒に。
「おりめ風」を右大臣千蔭に。
残り一つ「あわれ風」も何処かへと送ったのかもしれないが、此処では記されていない。
帝はこれらの琴の鳴り響く様に驚き、俊蔭に問いかけた。
「この琴は、どうやって作りあげたのだ。波斯国から持ち帰ったのなら、しばらく手も触れないでいたものであろうが、その声が衰えることもなく素晴らしく鳴り響き、しかもそり七つとも、皆同じ音であるのはどういうことであるか」
そこで俊蔭は、琴の作られた由来をそこで詳しく話した。
「そうであったか。では俊蔭よ、この琴の声はまだ慣れてない様だ。そなたが弾いて整えるが良い」
そう言って「せた風」を俊蔭の前に差し出した。
俊蔭はそれを受け取って、大曲を一つ弾き始めた。
するとこの響きは凄まじく、宮中の建物の瓦が砕けて、花の様に散る程であった。
また、もう一曲掻き鳴らすと、今度は六月の半ばだというのに、雪が凝り固まって降り出した。
帝はこの様子に改めて驚いてこう言った。
「何とまあ、この琴は、この調べは素晴らしいものよ。これは『ゆいこく』という曲だ。もう一つは『くせこゆくはら』といあう曲だ。唐の皇帝が弾いた時、瓦が砕けて雪が降った、という謂われのある曲だ。だがこの国ではまだその様なことは無かった」
ふうむ、と帝はほとほと感心する。
「俊蔭は、その昔から進士と秀才の二度の試験で、その才を示してきた。素晴らしい者である。とは言え、学問においては、俊蔭を凌ぐ者は居る。だが琴に関しては、今見た通りだ。俊蔭に勝る者は居ないだろう」
全くだ、と周囲に居た者もそれには納得した。
「俊蔭、そなたぜひ学士ではなく、東宮には琴を教えてくれぬか。東宮はこう言っては何だが、わしの子ながら、素晴らしい才能の持ち主だ。心を入れて打ち込み、そなたの持つ全ての曲を東宮に伝授したなら、そなたを公卿の身分に取り立てよう」
帝はそう言って俊蔭に命じた。
だが俊蔭はそれに申し立てをした。
「私はまだ十六の歳に、父母のもとを離れて、唐へと渡りました。嵐や波に流され、知らぬ国にうち寄せられました。戻ってきたら、父母は既に亡く、誰も私を迎える者はありませんでした。昔、帝のお言葉にかない、様々な御厚意の上で遣唐使となった私です。しかしその果てにあったものは… 思い出すだけで、悲しくなります。失礼になるのは承知の上で、ここはお断り申し上げます」
そう言って彼は宮中を退出した。
それ以来、俊蔭は出仕することもなく、官位も辞して、三条の末の京極大路に広く趣のある家を建てて、娘に琴を習わせることだけに心を打ち込んだ。
娘は一度で一曲を覚えてしまう程の者で、一日に大曲を五、六曲は習ってしまっていた。彼女が掻き鳴らす琴の声は、父に勝る程のものであった。
さてそんな風にして彼女が琴を父から習い始めてから暫く、歳が十二、三になる頃から、容貌の方も際だってきた。
そうなると、周囲にも次第に噂が立つようになった。
帝や東宮は文を送ってくる。上達部や皇子達からも当然であった。
だが俊蔭は誰の文にも返事をさせず、皇子や上達部に至っては、見もしなかった。
だが俊蔭自身は、こう帝には返していた。
「娘の行く末については天道にお任せしております。その天道に掟があるならば、国王の母とも、女御ともなるかもしれません。無ければ仕方がありません。山賎や民の妻になる、それもいいでしょう。私は貧しく零落した身です。どうして高い身分の方々と交わりができましょう」
困ったものだ、思いながらも帝は俊蔭を、もし気が変わったら、とでも思ったのだろう、通りの良い治部卿兼宰相の役を与えておいた。
俊蔭はそれから亡くなるまでずっと娘に琴を習わせることしかしなかったという。
*
「これは尚侍が見るべきものだな」
帝は仲忠にそう言った。
「はい。戻りましたらぜひ母上に」
「しかし長いものだ。この夜長にも読み尽くせそうにない。これからはこの草子などは自分で読むこととしよう。そなたは歌集や日記などを読んでおくれ。おおそうだ、十二月の仏名会の後にでも」
は、と仲忠はうなづく。
「そなたも三日間も昼夜通して講師を勤めたから疲れたであろう。…ところで東宮」