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テーマ:前世探求(31)
カテゴリ:祖先
かなり濃密な日々なので、一日の出来事を一日のうちに書き綴ることができない。。。
すべてを取りこぼしなく。。。というとほとんど不可能だ。。。昨日までの2日間も、その体験を綴るには日記という枠をはるかに超えてしまう。。。 恒治郎の思想を探求すると、たどり着いたものは「社会主義思想」であったが、それはそれほど確証のあるものではない。 もうひとつ、気になっているのは、トルストイだ。万歳新聞の記事には「綾子」の小説が邦訳で連載されており、これは「社会主義思想」とは関係なく哲学思想の範疇である。 後、宗教に関してだが、この当時の社会主義思想の持ち主に、キリスト教の信者が多いのも調査の対象となる。もしかするとクリスチャンだったか?についても気になるところだ。また、仏教徒であった場合、あまり重要ではないかもしれないが、その宗派と帰依仏がなんであったのかも興味深い。例の岡田(屋)は現在その跡地に立つ中屋のお上さんの話に寄れば、もともとは「観音様の土地」とおっしゃってた。 当然、惣菜屋、岡田の人々は、観音様の信仰を持ち合わせていたはずだ。 また、すぐ隣にある弁財天に対しても、当然であるがお参りくらいはしているはずで、そうした信仰の度合いがどのくらい影響を与えるものかは実際のところわからないが、(恐らく微々たる物であろう)しかし、時代を超える大きなスケールでは影響を少なからず与えるものなのだという感じがする。 今回、僕は恒治郎の魂の供養を、他ならぬ観世音菩薩の身・口・意のなかにおける口の化身とも言われるパテゥル・リンポチェの直伝の「リクパの智慧」の瞑想を通じて行うことができたのが、何よりの収穫だと思われる。。。 人っ子一人こない砂漠で迷子の魂に出会い、安全な世界へ連れて帰ってきたような。。。そんな錯覚を覚えた。 観世音菩薩の真言を1~2度唱えた程度で、何の効果も見られないであろう。 しかし、迷える魂には、わずかであっても最高のガイドライン映るのではないだろうか、ちょっとばかしそういう気がした。 Eili ... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月31日 12時33分08秒
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