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カテゴリ:思索
. 東京は、少しひんやりと冷え込み、 曇り空であるものの風は一切なく、 まるで静止した絵の中にいるかのような、 静かな春の彩りが感じられる。 . 昼間であるにも関わらず 薄暗い灰褐色の空に 淡いピンク色の桜の花のコントラスト . それは、あまりに繊細で、 空と地上とがかろうじて識別できる程度の 色の差異しか感じさせない。 . そして何よりも風がないために、 時間が止まっているかのような錯覚に陥る。 . . . . 僕は豊田、広瀬、杉本被告の公判には何度もあしげく通っていたので、広瀬さんの事がやはり気になる… . 一度精神崩壊をされてしまっていて、その後復活したようだが…でなければ、あのような冷静な分析による手記などかけはしない …それがいつ頃なのか、どの程度のものだったかを想像できない。 . 麻原にはできれば出会いたくはなかった… 彼の半生と僕の半生もかぶってゆく。時期がずれていたことが僕の救いだったのか、それとも、麻原との直接の縁が強すぎる彼の不幸なのか…彼も餌食になってしまったことには変わりはない。 . . 明晰な分析が出来る方だ。 頑なな印象はあるものの、それはある意味僕ら全員がそうであったわけだから、彼の内省に違和感はない。 しかし、彼はそれでもとびぬけて真面目な方だった事を知る。 . 彼は帰依の駒を、更に一歩、更に一歩と進めている。 (僕は、それができなかったのだ…) (豊田君だって、正直広瀬さんほどには落とし込めなかったはずだ。) (豊田君は92年か93年、僕は94年だし、広瀬さんとほど長くは麻原思想に汚染されていない) 深い理解に落とし込むために、体感的な事実を裏付けにして、無理難題な教義を自身に落とし込んでいこうとする。 . この表現は秀逸で、嘉浩君の内省とはまた一味違った深淵にたどり着こうとしている。 本音を言って、今僕自身の精神状態はあまり余裕がなく…彼の冷静な<悔悟>につきあっていけるだけの胆力があるかどうかは不明だ。 だが、頑張ってみよう。 . . . . 広瀬さんの、主眼となるテーマが「生きる意味」についてだったために、僕は彼の手記を手に取り、まず面食らった。 元を言えば、僕はこの「生きる意味」のごまかしのない徹底追及の末に、喪失感と虚無感、空虚感を招き、学生時代日常生活が破綻し、精神科に通院する毎日だった背景があった。 広瀬さんの体験した精神状態は、痛すぎるほど理解できる… . 僕は自分の手記「オウムからの帰還」にかけなかった逸話がある。 . 学部三年時にこの症状は深刻で、単位をすべて取っているにも関わらず、僕は留年して通院する。 嘉浩君に出会う1~2年前だ。 この時に主治医の精神科医の方に言われた言葉は、こうだった。 「…もしかしたら、あなたは宗教的なものが起因かもしれない」 「宗教的な鬱に陥っていると言えそう」 . むしろやんわりと、宗教に関心は示せないのかしら…とまで進言されていた。 . 「それで解決する若者を知っている…年のころはそう、あなたのように 22~23歳の方が陥る症状」 . 僕は、その頃はまだ宗教に低俗な誤解を抱いており、僕はずっと哲学的かつ科学的な真理探究になると思っていた。 . 僕は一年にわたる通院で回復の見込みがなく、入院を勧められた… だが僕はこの申し出も、何の解決の見込みもないものとしてしり込みしており、焦燥感に襲われていた。 . その時、処方されていた睡眠導入剤を備蓄しており、それを一気に飲み干すという生と死の賭けに出た。 …激しい頭痛と嘔吐下痢によって、試みは失敗する。 後には引けなくなっていた。入院を断るための唯一の道は進学だった。 . 運よく院の試験だけはこなし進学したのだった。 モチベーションは、奇跡的に降ってわいた天文学への道だ。 折しもその頃、自分の所属する地質学科に、異質の地球物理学者が赴任してこられ、 いきなり野辺山天文台での研究への道筋を作ってくれたのだ。 僕は、その後、天文台の実際の職員の方々、研究者の方々と研究し、実質的には大学を飛び越えていきなり 「本物の学問」の道へと分け入ってゆく。 野辺山天文台で見せられた 赤方偏移(※)は、僕の初めての神秘体験だった。 . これでかろうじて、一旦は救われたんだ。僕の場合。 でも、この「生きる意味」への問いかけは、いわば真理への問いかけ、そう簡単なものではなかった。 その存在の意味の喪失と渇きは、再び襲い掛かってくる事となる。 . ※ 赤方偏移は光の波長が伸びて観測される現象のこと。いわゆるビックバンの観測的事実とされる現象の事。 天体現象において赤方偏移を生じる状況は3つに分けられる。 第一には天体がわれわれから遠ざかる運動をする場合に,音の場合のドップラー効果と同様に、光の波長が長くなる現象。 . . . ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ウイリアム・ジェイムズの宗教的心理学によると人は、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われてゆく憂鬱状態から、心休まることのない問い…生きる意味に対する…に駆り立てられ、宗教・哲学に向かうとされています。また、この「宗教的憂鬱」はしばしば、突然の宗教的回心によって解決されるとジェイムズは指摘しています。 「悔悟」 P200 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 広瀬さんは、ご自身の状況を、これと一致している、と それは、僕も同様でした。切実なほど。 . . . Eili ...
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