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カテゴリ:思索
昨年の今頃は、一番一時を深く感じる時期だった。 豊田君をはじめ、残された死刑囚の執行が気になって仕方がなかった。 折しも仕事がめちゃハードで、なかなかスイッチを切り替えるのが難しい時期でもあり、どうも落ち着かなかった事を覚えている。 . 今年も、同様にして掛け持ちの仕事を抱えてたりして、意識チェンジがうまくできない。 正直忘れたいし、忘れられないし、忘れちゃいけないし。 変なコメントがつくようになったから、記録しずらい。 . 結局、人はいずれ死ぬ。 その時、生きてきたフェーズをどのように振り返るのだろう… 忙殺された毎日は、どれだけ印象に残るのか…? むしろ、たったひと時でも、忘れられない時間を過ごしたとしたら、その記憶の刻印が、集合意識に刻み込まれるのではないだろうか。。。 . 人生は大切にしなければならない。 個人にとっても、社会にとっても、未来にとっても… . 僕はこう感じる。 なにもかも、忘れることが出来ず、情け容赦なく、刻み込まれているのだ。。 生きてきた行いの数々の責任を取らず(…人は結局誰も責任を取ることが出来ないのだ)、連綿と続いていき、場は彩を増す。。 それは汚点ともいえるし、色彩ともいえる。 人によっては、それを罪と言い、また別の人によっては、業という。 . 時代は流れる . 宇宙は様相を変えてゆく . . . ダイナミックな精神活動も、どこかに伝播しているのではないかと感じる。 . . . Eili ...
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