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こんにちは、古木恵美子です。
いつもご訪問ありがとうございます。 私、小説「毘怒羅の矢」(ヒドラのヤ)を紹介していますが、 ブログを開設いたしまして、あと1日で20日になります。 でも、ブログを更新するのって、とても大変ですね。 もう、私、あっぷあっぷです。 お仕事から帰ってきまして、早くからブログの下書きをいたしていますけれど、 何度も書き直して、更新できるのはいつも真夜中になってしまいます。 このままで、今年いっぱい持つのかしら?と、そんな気持ちです。 でもご訪問してくださる方が毎回ふえていただいていると思いますと 頑張らなくちゃと、自分に言い聞かせて書いていますが、 本心は、キャー、もう誰かたすけてください! と、叫びたいほどです。 今日は何を書こうかしらと、あせってしまいます。 時々、支離滅裂になったり、しっかりしたお話しにならなかったりしましたら、 ごめんなさい、そのときはコメントで教えてくださいね。 私も頑張って修正いたしますので、よろしくお願いいたします。 ちょっと、深呼吸させてください。気合いれます。 さて、前回は、亜兼さんが宗教団体が残した重機の中から3枚の写真を見つけたところでしたね、このうちの一枚の航空写真を丹念に見ていくと、遺跡の場所を見つけたのでしたね。 それは、こんもりと円形に盛り上がっていまして、まさに円墳のような形をしているのでした。 尚も、亜兼さんが写真を丹念に見ていくと、その遺跡とそっくりの型をしました、 もう一つの盛り上がった丘を見つけだしました。 私も見ましたが、そのように思えば確かにそう見えなくもない、その程度にしか思えませんでしたが、とりあえずそこに行ってみる事になりました。 そこは、平坦なところに急に土地が盛り上がっていて、まるで円墳のような形はしていました。どうなのでしょう。 とにかく亜兼さんは形が変わり始めた、盛り上がった境目の場所を掘り起こし始めました。 数時間掘り進んだときです、そこに金属音のする物体に突き当たりました。 掘り広げますとその金属部分の表面が塗装されているのです。 遺跡にしてはどうもおかしな事になってきました。 とにかく考古学者や地質学者に依頼いたしまして調べることになりました。 すると、現れた金属面の上に積もった、堆積土の断面から、地質学者の教授は何と三千年は経っているであろうと推測されました。 しかし、円墳当の起源が五世紀から七世紀とされる説から遥かに時代をさかのぼってしまうことになります。いったいこれはどういう事なのか掘り出すことになるのですが、またしても謎に包まれることになってしまいました。 今日のお話も私の愚痴のせいで、ここまでになってしまいました。 ごめんなさいね、続きは次回のお話しといたしたいと思います。 今日はありがとうございます。 毘怒羅の矢(上巻)兼子光雄| 日本文学館|2007年 11月発売単行本| ISBN/JAN:9784776515340 本体価格:1,200円 (税込:1,260円) Amazon 楽天ブックス 7&Y e-hon 紀伊国屋書店 クロネコブックサ-ビス お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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