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カテゴリ:食関係
昨年からの食業会の不祥事続き~餃子事件で、食事情の危機感もここに極まる感アリの昨今。
あーだー! こーだー!! ・・・と言いたいことがいろいろ頭を駆けめぐっては、PCに向かって「書くぞ!」と思う。 ・・が、書き始めるとすぐに、自らの矛盾にさいなまれることになり、中断。 豆腐や野菜は有機村の柿木村(山口)や広島産を、卵は有精卵、牛乳はたとえ消費期限直前で割引になっていても島根の木次のものを、魚は量り売りの魚屋で、アラまでもらってフル活用。レモンは広島産よー)))と皮まで活用のPR。 ここまではご立派なのだけれど、これらが一カ所で調達出来るわけもないから、あちこちの店をはしごして(しかも車で)末端フードマイレージを稼いでいるし、ウチのエンゲル係数は、上がってるよね・・・たぶん。 野菜くずもスープをとるのに使います。餃子も手作りです。お菓子ももちろん・・・???。 でも、こんなこと毎日やっていたら、台所にかじりついていなければならない。 巷の子育てまっただ中のお母さん方などは、日本の未来よりまずは今日明日子供達のお腹を満たしてあげることだけでも大変。お弁当作りにはじまり送り迎え等々、一昔前の子育て環境とは違う状況で、頭の中でちょっとシミュレーションしただけで、このような食生活は破綻してしまう。 スープの出しに使った出しガラの野菜くずは、マンション暮らしでは、土に返すことができず(最も今時は、一軒家でも土面は少ないか・・)ベランダに拡げて干すわけにもいかず、ベチョベチョのまま結局は生ゴミになる。それを肥料にするにも、電力を使って生ゴミ処理機を使うしかなく、肥料にしたところで、何処へ持っていく・・・(車で??)。 あーーー、なんと無力であることよ。))) 食文化探訪とスパイスをテーマにしている経験主義の私は、輸入食材とも仲良くしている。 食事は自分の歴史でもある。食料自給率75%の昭和40年代から39%の平成への推移は、ナポリタンスパゲティからパスタ、カレーライスからカリー、明治チョコレートからショコラへの変遷であり、その全てが、数々の思い出と共に食の自分史に組み込まれている私たち世代は、時代の流れを家庭料理から給食、外食産業・・「食」をもって体感してきたように思う。 知ってしまったものは、白紙に戻せない。 建ってしまった意識のアンテナは、取り外せない。 グローバルなことを論じるのは簡単だが、実生活では些細なことを実行することの如何に難しいことか。 食は社会システムと密接に関わっており、いや、社会現象そのものなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.02.15 22:32:09
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