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そうだ坊主になろう!~ヒロ伊藤流仏弟子修行

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2005年03月30日
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昔むかし、常不軽菩薩という一人の修行者がおりました。彼は、老若男女、貴賤を問わず、どのような人に対しても合掌して拝みました。人々はこれを見て彼を蔑み、悪口を言ったり、瓦や石を投げつけたり、杖で打つようなことまでしたのです。でも彼は少しも逆らわず、言いました。

「私はあなたがたを敬います。決して軽んじ、慢心するようなことはありません。なぜならあなたがたは、皆菩薩の道を行じてやがて仏になるひとであるからです」
                『妙法蓮華経 常不軽菩薩品 第二十』

常不軽菩薩は、法華経ではお釈迦様の過去世ということになっています。

ガンジーが合掌しながら人々を先導して歩いているニュースフィルムや映画のシーンを見たことがあります。今でもインドや、スリランカ・タイなど南アジアの上座部仏教(学校では小乗仏教と教わった)の国では、僧侶だけでなく、一般の人でも挨拶しながら合掌します。出会ったときも別れるときも合掌しています。ガンジーは、我執を克服し慈悲行を実践して非暴力主義を貫き、インド独立を勝ち取りました。

上座部仏教のお経『テーラガーター(長老偈)』には
「われは万人の友である。万人の仲間である。一切の生きとし生けるものの同情者である。慈しみの心を修めて、常に無傷害を楽しむ」とあり、
ガンジーも「非暴力=無傷害(アヒンサー)と不殺生は、謙譲の極限である」と言っています。謙譲は、慈悲=愛の心を持つことで自然と生まれてきます。かつて日本にも「謙譲の美徳」というものがあったはずですが、今では、私がオレがと我執に囚われて、他人を顧みず傷つけても平気です。最も親密であるはずの親子の間でも、親が子を、子が親を傷つけています。夫婦間でも友人間でも会社の仲間でも、近所や親戚同士でも、まして他人同士の集まる世間ではなおさらで、社会が殺伐としているのは当然かもしれません。

法華経によると、仏とは拝まれる存在であるだけでなく、拝む存在でもあるのです。何故なら「一切衆生悉有仏性」、誰にでも仏性(仏になる素質)があり、慈悲深く生きる菩薩道を歩めば仏になる存在だからです。殺伐とした世の中で、人に優しく慈悲の心をもって接する。せめて心の中で手を合わせて、人を軽んじず敬い、相手の立場で考えると、何故か心が落ち着いて、楽しく一日の生活を送ることができますよ。カリカリしても何の得もありませんからね。 

合掌 観学院称徳





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最終更新日  2005年09月16日 08時20分15秒
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