テーマ:ニュース(100198)
カテゴリ:つれづれ
悲しく痛ましい事件がまた起りました。 高校1年の夢大き女子生徒が、幼なじみの男子生徒に50数カ所を殺傷されて亡くなったという事件です。 動機の解明が進められていますが、どうも小中学校を同じくする男子生徒の片思いから、高校入学後冷たくなったと思い込み殺害にいたったとのこと。 また、被害者が自分の悪口を言っているのではないかと感じていたとの報道もあります。この年頃では、女子の精神的な成熟と比べて、男子の幼さが目立つとのことですが、実際には会話もほとんど無かったという二人の間に何が起ったのか、現状ではまだ分からないことが多いようです。 被害者の女子生徒が誰にも好かれる可愛くて思いやりのある人気者だったこと、一方の加害者の少年は大人しく目立たない存在で、友達も少なかったことなどが伝えられています。 不思議なのは、この男子生徒が殺害後も冷静な日常生活を演じていた?ことです。警察の取り調べにも、自己の犯行を認めた上でなお冷静で、食事の時間を尋ねたり、体操をして体をほぐしたりしているとのことです。 好意を感じていた幼なじみの命を凄惨な方法で殺害したばかりであるにも関わらず、パニック状態に陥ることも無く、証拠の血の付いた制服をクリーニングに出そうとしていたり、登校して普通に授業を受けたり、警察に捕まり取り調べを受けても取り乱すことがないという。自供をしても変わらない。 自己の悩みの対象である少女を亡き者とすることによって、心に偽りの平安を得たのでしょうか? 彼の心は暗い洞窟の中に閉じ篭ってしまったのでしょうか? この事件では、この二人の少年少女の間の事件と割り切れない、問題を含んでいると思います。二人の家庭の問題と、隣近所というコミュニティの問題、教育と心の問題です。情報が少ない段階でのコメントは避けるべきと思うので本日は差し控えますが、簡単なちょっとした気遣いがあれば、この事件は避けられたのではないかと、悔やまれます。 未来ある人の命を奪い、その人の持っている多くの可能性を奪うことは、けっして許されることではありません。 お釈迦様は「自分の命を大切だと思うように、他人の命、生きとし生けるものの命も大切にしなさい」と教えられました。 しかし残念ながら、現代にはその自分の命にもリアリティを感じない、大切だと思わないような人が多いのも確かです。 何故なら昔のように人の死は身近なことではなく、病院などに隔離されているからです。死は、けっして痛みを感じないゲームというバーチャルな世界の出来事でしかないのです。動物を飼うにしてもペット化されていて、自分と同じ命を持っているというリアリティを感じることなく、ぬいぐるみのようにいらなくなれば捨ててしまうような関係性しか持ちません。 現代の社会は、子供たちが命の大切さを自動的に身につけることができる社会環境ではないのです。家庭での教育、学校での教育、隣近所など身近な社会での教育が見直されるべきでしょう。教育というよりは命を大切にするという環境づくりかもしれませんが。そして哲学や宗教の役割も再認識されるべきだと思います。 これらは一朝一夕で改善できることではありません。だからこそ、ひとり一人が今日から一歩づつ身近なところから始めるしかないように思います。 悲劇を二度と繰り返さないように。 少女の魂が悲しみの世界から救われますように! ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スバーハー 往けるものよ 往けるものよ 彼岸に往けるものよ 彼岸に全く往けるものよ 悟りよ 幸あれ 合掌 観学院称徳 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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