「道を修めるものとして、避けなければならない二つの偏った生活がある。
その一は、欲に負けて、欲にふける卑しい生活であり、
その二は、いたずらに自分の心身を責めさいなむ苦行の生活である。
この二つの偏った生活を離れて、心眼を開き、智慧を進め、さとりに導く
中道の生活がある。
この中道の生活とは何であるか。正しい見方、正しい思い、正しい言葉、
正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい記憶、正しい心の統一、
この八つの正しい道である。
すべてのものは縁によって生滅するものであるから、有と無とを離れている。
愚かな者は、あるいは有と見、あるいは無と見るが、
正しい智慧の見るところは、有と無とを離れている。
これが中道の正しい見方である。」
(『仏教聖典 パーリ語大蔵経大品転法輪経より』58頁1行 仏教伝道協会刊)
中道とは、単にどっちつかずの真中の道ということではありません。
それはどちらにも偏らない正しい道ということです。お釈迦様は苦行の末に、これでは悟ることができないと感じ、瞑想によって悟りを得ました。しかしこれは、修行仲間たちが非難したような、欲に負けて、欲にふける卑しい生活ではありませんでした。瞑想によって世間の実相、生死という人生の実相を見極めて、自らの内なる心=仏を感得することでありました。
いたずらに心身を責めさいなむのはやめなさい。
苦しみに沈むのではなく、苦しみをつくっている原因をよく見極めて
原因を離れ、捨て去ることで、安らかな心を取り戻しなさい。
これが、お釈迦様の最初の教えです。
南無釈迦牟尼仏 のうまくさんまんだぼだなんばく
合掌 観学院称徳