世尊の弟子シュローナは、富豪の家に生まれ、生まれつき体が弱かった。世尊にめぐり逢ってその弟子となり、足の裏から血を出すほど痛々しい努力を続け、道を修めたけれども、なおさとりを得ることができなかった。
世尊はシュローナを哀れんで言われた。
「シュローナよ、おまえは家にいたとき、
琴を学んだことがあるであろう。
糸は張ること急であっても、また緩くても、よい音は出ない。
緩急よろしきを得て、はじめてよい音を出すものである。
さとりを得る道もこれと同じく、怠れば道を得られず、
またあまり張りつめて努力しても、決して道は得られない。
だから、人はその努力についても、
よくその程度を考えなければならない。」
この教えを受けて、シュローナはよく会得し、やがてさとりを得ることができた。
(『仏教聖典』175頁12行 パーリ、長老偈註より 仏教伝道協会刊)
いつの時代にも自分の道を求めて、必死に努力を重ねる人がいます。
宗教に限らず、仕事、スポーツや趣味、人間関係でもそうでしょう。
特に日本人は精神論的に決死の努力が最上のものだと思い込んでいるようです。
しかし、お釈迦様は言われます。
「琴の弦が、張りつめても緩すぎても、いい音は出ないように、
さとりを得る道もこれと同じく、怠れば道を得られず、
またあまり張りつめて努力しても、決して道は得られない。
だから、人はその努力についても、よくその程度を考えなければならない」、と。
29歳で出家され6年間、まさに決死の苦行を続けてなお悟りを得られず、
張りつめた心を癒す禅定によって悟りに到ったお釈迦様の言葉には説得力がありますね。
他人から見て痛々しいほど努力され、
自分に鞭打って頑張っている人に出逢うことがあります。
頑張ることは良いことですが、行き過ぎると、体をこわし、精神を痛めます。
そうなると自分だけでなく、周りの人にも迷惑をかけます。
何より自分自身が不幸になりますからね。
どうかほどほどに頑張ってください。
あなたに幸せが訪れますように!
合掌 観学院称徳