カテゴリ:ヒロ伊藤流?仏弟子修行
「懺悔の心が起これば、もはや罪は罪でなくなるが、 懺悔の心がないならば、罪は永久に罪として、 その人をとがめる。」 (『仏教聖典』大般涅槃経 178頁5行 仏教伝道協会刊) 懺悔といえば、キリスト教の懺悔を思い出す方が多いと 思いますが、実はこの「懺悔」とは仏教の言葉なのです。 但し読みは「さんげ」と濁りません。 キリスト教聖書を日本語訳するときに多くの仏教用語を 使い、日本人にも理解できるようにしたそうです。 仏教では懺悔は仏に向かう時、お経を読む前に開経偈と ともに行います。そのための懺悔文(さんげもん)が、 決まっています。宗派を問わず華厳経普賢行願品から 「我昔所造諸悪行 (がしゃくしょぞうしょあくごう) 皆由無始貪瞋痴 (かいゆうむしとんじんち) 従身口意之所生 (じゅうしんくいししょしょう) 一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいさんげ)」 詩人の八木幹夫氏の訳によれば、以下のような分かりやすいものです。 八木氏は、仏教学者ではありませんが、お経の多くが唱えるための 詩偈としてつくられたのだから、詩人の日本語訳があってもいいと、 『仏典詩抄 日本語で読むお経』という本を著わされています。 もちろん中村元博士他の研究成果を踏まえたもので、 よくある自分勝手な意訳ではありませんので、ご紹介します。 懺悔文は、謙虚に自分を省みる時に唱えるものです。 誰でも悪いことを一度もしていないと断言できる人はいないでしょう。 生きていれば望む、望まない、また意識する、しないに関わらず、 悪行を犯してしまうことがあります。 せめて仏さまと対面するときに、 懺悔の心を起こして、罪を滅していただきましょう。 罪を背負って生きることは辛いことですからね。 般若心経などお経を読まれる前に、心を込めて読み上げれば、 自ずと心が落ち着き、仏の教えを伺うための準備ができますよ。 「昔わたくしの犯した数々の悪いおこないは、 その始まりも知れぬほどの貪欲さや怒りや愚かさによって すべて引き起こされたものです。 ああ 諸悪を生み出す肉体よ、口よ、心よ。 みほとけの光に照らされて今、 わたくしは一切を懺悔いたします。」 合掌 観学院称徳 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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