カテゴリ:ヒロ伊藤流?仏弟子修行
「尊師よ、私の心は正しいことを行い、私の同胞のためになりたいと 心から願っています。お尋ねします。 私も尊師のように、富も家も事業も捨て、心の喜びを得るために 遍歴行者の道を歩まねばならぬのでしょうか?」 「八つの正しい道を歩む者には誰でも心の平安と歓びは得られるのです。 しかし富に執着するものは、それによって毒されるより富を捨てた方がよい。 富に執着がなければその富を正しく用い同胞のために尽くすがよい。 故にそなたに告げる。あなたは今の生活に止まり事業に精を出すがよい。 人をとりこにするのは、生活や富や権力ではなくそれに対する執着である。 気楽な生活を送るために隠退した修行者は何も得ることはできないだろう。 怠惰な生活は嫌悪すべきものであり、無気力さは軽蔑さるべきである。 タタガータ(修行を完成した人=如来)のダンマ(真理)は、 自らそう望まぬ者に世捨人になることを要求してはいない。 ダンマが求めるのは、総ての者が自己への幻想から解放され、 心を清くし快楽への欲望を断ち切り正しい生活を歩むことである。 人が何をなそうと、職人、商人、役人として世俗の生活を送ろうと、 世を捨て瞑想一途の生活に専心しようと、 それぞれの仕事に専念し、勤勉に精一杯やることだ。 水の中で育ち水に沈まない蓮のように、妬みや憎しみを抱かず人生を闘い、 利己的にならず真実の人生を送るならば、 間違いなく歓びと平安と祝福が、心に宿るであろう。」 (『ブッダとそのダンマ』105頁 B.R.アンベードカル著 山際素男訳 光文社新書) インドのコーサラ国王の財務官で、貧者への惜しみない施しによって アナータピンディカ(孤独な人々に食を供する人)として知られていたスダッタさんが お釈迦様に教えを乞うたときの問答が残されています。 功なり名を遂げ、大きな富を得たスダッタさんは、惜しみない施しを行う篤志家です。 仕事が忙しく一杯だけど、仕事も愛して勤しんでいる。 多くの者がその下で働き、事業の成功を頼っている。 そんな事業も人々をも捨て、家族も富も捨てて、自分の心の喜びを得るために 出家することでしか心の喜びは得られないのか? 解脱への道はないのか? 仏教には、特に南方仏教の上座部仏教(大乗仏教から小乗仏教と蔑称されていた)で 顕著ですが、出家者しか悟れないという誤解が伝えられています。 本日ご紹介する教えで、それが間違いであることが明らかだと思います。 大乗仏教の初期の教典には、維摩経の維摩居士のように、 お釈迦様の直弟子たちを議論で打ち負かすような在家信者の強者も登場します。 お釈迦様の示された答えは、明解です。 「タタガータ(修行を完成した人=如来)のダンマ(真理)は、 自らそう望まぬ者に世捨人になることを要求してはいない。 ダンマが求めるのは、総ての者が自己への幻想から解放され、 心を清くし快楽への欲望を断ち切り正しい生活を歩むことである。 人が何をなそうと、職人、商人、役人として世俗の生活を送ろうと、 世を捨て瞑想一途の生活に専心しようと、 それぞれの仕事に専念し、勤勉に精一杯やることだ。 水の中で育ち水に沈まない蓮のように、妬みや憎しみを抱かず人生を闘い、 利己的にならず真実の人生を送るならば、 間違いなく歓びと平安と祝福が、心に宿るであろう。」 もう一つ、お釈迦様のこの教えで明らかなことがあります。 それは、死後の平安や極楽往生を願う前に、今生きているこの世で、 歓びと平安と祝福が心に宿るとされている点です。 「妬みや憎しみを抱かず人生を闘い、 利己的にならず真実の人生を送るならば、 間違いなく歓びと平安と祝福が、心に宿るであろう。」 合掌 観学院称徳 *ご参考に 転生~ブッダは再生を信じたか? 2005年08月27日掲載 http://plaza.rakuten.co.jp/epub777/diary/200508270000/ 維摩居士に関して 道場って、どこのことですか? 2005年05月12日掲載 http://plaza.rakuten.co.jp/epub777/diary/200505120000/ 日々の生活の中に道場がある! 2005年05月17日掲載 http://plaza.rakuten.co.jp/epub777/diary/200505170000/ 慈しみとあわれみもまた、道場である! 2005年05月18日掲載 http://plaza.rakuten.co.jp/epub777/diary/200505180000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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