原始仏典を読んでいると、昔のインド人は、ばかにしつこいと思うことがあります。
お釈迦様も弟子も、同じようなことを何度も何度も質問し、何度も何度も答えています。
拙僧のような気の短い者は、議論の中でブチ切れてしまうでしょう。
「おまえら一を聞いて百を知る、以心伝心ができないのか」などと言い出しそうで心配です。
だいたい創造力が必要な宗教や、論理がものをいう哲学や数学が好きな人たちには、粘着気質が多い?などと言ったら怒られるかもしれませんね。自分の根気のなさを暴露しているようなものです。実際古代のインド人たちの粘り強い思索が、宗教、哲学、数学などでは、現代にも通用する貢献をしています。「空」と「0」の発見は特に大きいとされています。この伝統は現代のインド人にも受け継がれていて、優秀なプログラマーやSEを大量に輩出して、欧米のシステム開発業界に多大な貢献をしています。
お釈迦様の言葉を最も残していると言われている『スッタニパータ』など原始仏典は、お釈迦様ことゴータマ・ブッダ在世時代の説法を、寂滅直後に長老マハー・カーシャバ(大迦葉)の呼びかけで五百人の仏弟子が集まって確認した言葉がもとになっています。この集まりを第一結集(けつじゅう)と言いますが、結集はサンスクリット語では、サンギーティで「記憶している教えをみんなで合唱すること」を意味しているとのこと。
長年に渡って侍者としてお釈迦様に付き従っていて多聞第一と呼ばれたアーナンダ(阿難)が教えを、持律第一と呼ばれた理髪師出身のウパーリ(優波離)が律を、記憶の中から誦出したと伝えられています。このとき彼らが発した最初の言葉が「如是我聞」「私はこのように(釈尊のことば)を聞きました」で、後世成立する経典の書き出しの言葉として受け継がれていきます。
このように成立した原始仏典は、当初文字によらず口伝で人の記憶によって伝えられたため、同じような言葉を連ねていくことになったようです。お釈迦様が、在世中その説法を文字して書き残すことを禁じていたからです。
何故かと言えば、お釈迦様の説法は対機(インタラクティブ)説法なので、ある教えは、その場、その時、相手のレベルや置かれた状況に応じて説いたのだからです。別の場所、別の時、相手のレベルも状況も異なる時に文字で読めば、間違って伝わり誤解を招く恐れがあると危惧したのです。
お釈迦様の入滅後百年、二百年たつと、それでも正しく伝えられなくなり、文字として書き残すことになったのが、お経の始めです。そこで後世の拙僧のような不心得者が、これを文字で読むと、しつこいだの粘着気質だのと言い出し、もっと整理して精緻な文章にしようと思い立ちました。
志は素晴らしいのですが、経典の作者たちは、そこに後世出来上がった神話的な伝説や自分の解釈を付け加えました。中には方便のため分かりやすいたとえ話を創作し、どうせならと文学の香り高いものにしました。先行する仏典に対抗するため正当性や優位性を主張し、自分の経が真実の教えだとか、最後の教えだとか、臆面もなく記しました。しかも、自分が著者だとは名乗らず、如是我聞と書き出したのです。仏教に経典が八万四千もあると言われるほど多様化した理由が、ここにあります。お釈迦様入滅後四百年くらい紀元前100年頃に成立し始める大乗仏典には特にこの傾向が強く、正統派である上座部仏教などから、かつては大乗偽経説が言われておりました。拙僧は、大乗の徒なので、このような仏典成立の経緯を考えると、その源にはお釈迦様の教え~確かに原始仏典におけるお釈迦様の言葉が、大乗仏典のそこここに見られるので、偽経とは思いませんが。
コミュニケーション~人から人へ何かを正しく伝えるというのは、難しいものです。
お釈迦様が前述のように対機説法という手法を使ったのは、正しく効果的効率的な選択だったのです。
ある考えを誰かが話す。この場合、単に言葉だけではなく、表情や身振り(身)、そしてそれらが相まって全身全霊から発する心があって、初めてコミュニケーションが成立します。
ある人が心に思ったことを、こうした言動を通して、相手に伝える。
しかし、相手にそのまま伝わるかと言えば、実はそうではないのです。
なかなか伝わらない。コミュニケーションは難しいと誰もが感じるのはこのためです。
相手は、ある人の言葉や表情や身振りなどボディランゲージと呼ばれるものと、
その裏に潜んでいる心を、見て、聞いて、感じて、自分の記憶や
価値観などの考えと比較して、思うのです。ある人の言葉の真意を理解したと。
ほんとうに伝わっているかどうか、誤解していないか、それは実は分かりません。
分かりようがないのです。相手の脳や心を開いて見ることはできませんからね。
確認するためには、相手がどのような言葉やボディランゲージで応えてくれるかを
見て聞いて、判断するしかありません。
従ってこれが、お釈迦様の説法の言葉を残した原始仏典が、
文字で読むと、しつこく間怠っこしい問答をしていると、短気な拙僧が感じた理由でした。
お釈迦様の直弟子を公言しながらこのような馬鹿な拙僧を、
二千五百年の時を超えて分からせてくれるのも、お釈迦様の有り難いところです。
お釈迦様は、コミュニケーションの本質を理解し体現できた天才だと、再認識しました。
あれ、ということは、ゴータマさんは、拙僧の生業たる
マーケティング・コミュニケーション・コンサルティングの師でもあったのか。
公私共に、聖俗ともに、お世話になります、お釈迦様!!!
ナムブッダ、ナムシャカムニブツ、ノウマクサンマンダボダナンバク!
合掌 観学院称徳