煩悩の毒
「世の人々は軽薄で、つまらぬことに夢中に なっている。老いも若きも、男も女も、 富者も貧者も金銭のことばかり考えている。 田あれば田を憂い、家あれば家を憂える。 衣服、食物、家具にいたるまで、“欲しい”とか“盗まれないか”とか考えて 心の休まる暇がない。ある品が手に入れば、 この品が足りないと思い、やっとそろった と思えば、すぐに古び壊れ、また思い悩む。 人は心に嫉妬と怒りを満たしている。 すぐには争いに出なくても、互いに憎悪を蓄え、忘れない。 父母の心を理解せず、父母の忠告に目をつり上げて逆らう。」 (『大無量寿経』より 定方晟訳)大無量寿経には、二千年近くも前の人間の煩悩という毒に対する鋭い認識がありました。今も昔も人間は変わらない、こういう問題では進歩がないようですね。このお経は、西暦100年頃にインドで成立したと考えられています。パレスチナでは、キリスト教の新訳聖書が既に編纂されていた時期に当たります。無量寿仏(アミターユス)と無量光仏(アミターバ)の共通部分である無量を意味するアミタ=阿弥陀仏の前世における願とその功徳を説いた大無量寿経は(西暦252年中央アジアのサマルカンド出身の学僧であった康僧鎧によって漢訳されました。他力の浄土教出現の端緒をつくったものとされています。内容は、法蔵という菩薩が「極楽浄土建設と、衆生をそこに生まれさせる」という願を立て、願が成就して法蔵は極楽浄土の教主となり、阿弥陀仏となって衆生を救うという物語です。法蔵は48の願を立てましたがその一つに「自分を念ずるものを必ずこの浄土に生まれさせる」というのがあり、後に4世紀頃の中国で「仏の姿を思い浮かべて自分の心を浄化し、統一する念仏」が行われるようになりました。日本仏教の浄土宗や真宗など浄土教系は、法然さんが12世紀の末法の世において、凡人でもひたすら阿弥陀仏の名前を唱え(専修念仏)死後阿弥陀仏の国土(極楽浄土)に生まれることこそが救われる道だと説いたことで盛んになります。法然さんとその弟子親鸞さんによって、日本仏教の大きな流れの一つになりました。無量の慈悲で衆生を救う阿弥陀さま。仏教スター軍団中の大スター、現在では世界中で一番日本人に愛されている仏様といえるでしょう。合掌 おんあみりたていぜいからうん(南無阿弥陀仏) 観学院称徳