カテゴリ:GAP
12日~16日のクリスのゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス、
今回は特に体感というか、感覚で満たされ気づく、という理解の仕方だった気がします。 足の裏の草の柔らかな感触、からだを撫でていく風、耳に沁みる蝉や鳥の声、 太陽の光りと熱、浴びた冷たい水の心地よさ、つないだ手の暖かさ、 足踏みの振動、響く吼える声、眼差しと眼差し…。 生きている今を、たっぷりと味わい、その向こうの死に思いを馳せた。 私のオープンシートは長田弘さんの「詩(死)ふたつ」という詩を読むことから始まりました。 そのうちの一つ 「人生は森の中の一日」 何もないところに、 木を一本、わたしは植えた それが世界のはじまりだった。 次の日、きみがやってきて、 そばに、もう一本の木を植えた。 木が二本。木は林になった。 三日目、わたしたちは、 さらに、もう一本の木を植えた。 木が三本。林は森になった。 森の木がおおきくなると、 おおきくなったのは、 沈黙だった。 沈黙は、 森を充たす 空気のことばだ。 森のなかでは、 すべてがことばだ。 ことばでないものはなかった。 冷気も、湿気も、 きのこも、泥も、落葉も、 蟻も、ぜんぶ、森のことばだ。 ゴジュウカラも、アトリも。 ツッツツー、トゥイー、 チュッチュビ、チリチリチー、 羽の音、鳥の影も。 森の木は石ゴケをあつめ、 降りしきる雨をあつめ、 夜の濃い闇をあつめて、 森全体を、蜜のような きれいな沈黙でいっぱいにする。 東の空がわずかに明けると、 大気が静かに透きとおってくる。 朝の光が遠くまでひろがってゆく。 木々の影がしっかりとしてくる。 草のかげの虫。花々のにおい。 蜂のブンブン。石の上のトカゲ。 森には、何一つ、 余分なものがない。 何一つ、むだなものがない。 人生も、おなじだ。 何一つ、余分なものがない。 むだなものがない。 やがて、とある日、 黙って森をでてゆくもののように、 わたしたちは逝くだろう。 わたしたちが死んで、 私たちの森の木が 天を突くほど、大きくなったら、 大きくなった木の下で会おう。 わたしは新鮮な苺をもってゆく。 きみは悲しみをもたずにきてくれ。 そととき、ふりかえって 人生は森の中の一日のようだったと 言えたら、わたしはうれしい。 しみじみとこの詩を味わい、沈黙の空気のことば、森の中のことばを味わい、 人の口からでる、自分自身への真実で真摯なことばを味わい、 自分の死への思いをクリスやみんなに聞いてもらい(遺言?) クリスの優しさ、愛、忍耐を味わい、GAPのARTを学び、 女神山の美味しいご飯を味わった珠玉の森の中の5日間でした。 GAPはゲシュタルト・アウェアネス・プラクティスであり、 一照さんがおっしゃる、グラウンディング・アウェアネス・プレゼンスでもあります。 ホントに私はGAPが好きで、この「在りかた」で生きたいと思っているんだな、を再確認。 クリスとオープンセンスの智恵子さん、共に学んでいる仲間、 昨年の誕生日プレゼントにこの本をくれた友に感謝!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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