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本題に入る前に、ドイツ騎士団について触れておきます。ヨーロッパ中世史を見る時に、このドイツ騎士団の他、テンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団の名前が出てきます。とりわけ、ドイツ騎士団の正式名称はドイツ人の聖母マリア騎士修道会と言い、ローマ・カトリックから公認された騎士修道会。11世紀に聖地エルサレムが異教徒であるイスラム教徒に奪回され、ローマ・カトリックの名のもとに、十字軍が組織され、地中海の海上から東ヨーロッパの陸路続きに、ヨーロッパの王族が兵を連れて奪還した。その折に騎士団修道会が公認され、エルサレム巡礼者を異教徒から守る騎士として、また、病に倒れたキリスト教徒を助けるために働き、組織化した。
マルボルグにドイツ騎士団がやってきたのは、13世紀のポーランド王コンラト1世がポーランド北部の異教徒プルーセン人の統治に手を焼いて、その統治をドイツ騎士団に依頼したことから始まり、グダンスク南東50㎞のヴィスワ川支流のノガト川のほとりにマルボルグ城を築いた。そして、この城がドイツ騎士団本部となって、中世から近世に至る時代に隠然とした力をこの地方に根付かせた。
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最終更新日
2021.11.19 09:37:31
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