ワイルドキャットのブログ

2023/04/10(月)08:57

暴力の考え方

雑感(50)

あまりにもボケたタイトルですが、正直に世間で言う「暴力」を考えてみた。わたしなりにである。夫婦間の暴力、他人への暴力、理由はともあれれっきとした犯罪となるのだが、最近はネットでの裏バイト募集がおこす強盗で誰でも暴力を行使して若者が簡単に暴力を振るう機会が多くなったのは衝撃的である。しかも友人や家族には手など上げたことがないという若者がである。「暴力」は昔から悪いこととされてきた。なぜかといえば自分の欲望をかなえるためにする力の物理的行使であり、国家間の戦争と同じ理屈なのだ。しかし暴力は映画でも漫画でも小説でも見られ、人間の本能的な当たり前の行為として描かれている。暴力がここでは正当な出来事として描かれているのがほとんどで、やむを得ない力の行使または相手の暴力に対する正当防衛ということが原則となる。わたしは小さいころから友人がちょっかいを出したりしてもケンカというものをしたことがなく、避けていたほうだった。いじめを受けたことはあったがその意味があまり理解できず、深刻に考えることができなかったためかあまり不愉快な思いをしたことがない方だったように思う。現在まで人に暴力を振るったことはないし、世間でよく報道される夫婦間の暴力やケンカなどは経験がない。暴力は性に合わないのだろう。というよりも暴力を振るえばあとで仕返しが来るだろうし、なによりもその人に恨まれるのが嫌だったし、また女性だったら自分を嫌いになってしまうだろう。これを恐れたのだ。それでも相変わらず暴力はスクリーンやコミックで正々堂々描かれている。暴力礼賛のネタがたくさん世の中にあふれている。この矛盾はどうしたもんだろうか。法学のまず最初に謳われるのは、なぜ犯罪に対して刑罰があるのか?という理由は、個人それぞれが暴力に対して対抗手段をとるということは、個人によりバラバラな対応で、これを勝手にやっていたら収拾がつかなくなる。ある人は機関銃を持ち歩き、ある人はそっちが機関銃を持っているならこっちはバズーカ砲だなど漫画の世界になってしまう。米国などはこれに近いのだろう。アクション映画はだいたいこのあたりの掣肘合戦になっている。国が警察力を使って国民が平和に社会生活を送れるようにするのが基本で、個人の武装は国によって違うが、もし個人にいわれのない攻撃が加えられた場合は法律で国がそれを処罰することになる。我が国などは武器の所有は認められていないので、世界一治安が安全な国として知られている。お上にすべてお任せである。閑話休題、つまり暴力とはいったい何なのか、それを訴えたくて拙文を表したが大した答えにはなっていないな。

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