FANTA-G

2020/12/05(土)10:58

あの時代のオタク状況

宅八郎の件で、今、それこそマンガやアニメ、ゲームを楽しんでいることが「当たり前」になっている時代と、彼がメディアで取り上げられ、公然とオタク迫害が行われていた時代とのギャップをふと考えます。  当時私は中学から高校にあたる時代で、学校のいわゆる漫画研究会に所属し、マンガ絵を描いたり、同人誌を作ったり、とはいえ、当時の学校の方針で「体育会系の部に入らなければいけない」というよくわからない規則で軟式テニス部にも所属していた(後半幽霊部員でしたが)タイプ。自宅ではパソコンでゲームを自主製作したりと、そういうタイプで。コミケにも晴海会場時代に夏休みに長野から希望部員で遠征して、なんてこともありました。  で、そこで起きたのが例の宮崎事件。当時にも年に2回、東京でコミケで大勢のオタクが集まるイベントを開ける(当時は10万人ぐらいでしょうか)程度のアニメ、マンガ、ゲームカルチャーはありました(地方でも小さな同人即売会などは行われていた)が、一般にはまだまだ知名度が低かった時代。それが事件によって「オタク族」という言葉と共にメディアに注目されるようになり、しかも「初手が凄惨な殺人事件」という、最悪のイメージで世間に広がってしまったんです。結果、コミケで売られているエロ同人などをとりあげて「こんなものを描く連中がああいう事件を起こす!オタク族は性犯罪の巣窟」みたいな、そういう感じ。と、同時に事件を加害者本人の問題、というより、その人物の属性(趣味)でとらえて報道する典型的なバッシング方法でした。  しばらくしてテレビに現れたのが件の「宅八郎」というキャラクター。ひょろっとした体に眼鏡をかけ、長髪で手にマジックハンドを持ち、当時トップアイドルだった森高千里のフィギュアをペロペロ嘗め回す、という行為をバラティー番組で「役として」演じていた人。そしてその異常なキャラクター性を番組内でとんねるずなど体育会系芸人にいじられ、馬鹿にされ、ひどい目に合うドッキリなど仕掛けられて番組内で笑いものになるキャラでした。  今と違ってネットはなく、テレビの影響力が絶大な時代です。  結果どうなったか?最悪の形で始まった「オタクな人」のイメージを当時完全に定着させてしまった。 「オタクってこういうことをする人なんでしょ」となってしまった。で、その効果は学校や会社などに波及する。クラス内に必ずと言っていいほどいる、内向的で漫画やアニメが好きな生徒をいじる(バカにする)格好の材料になるのだ。  たとえば手元に当時のコミケカタログ(コミケの40回のもの)があるが、マンガレポート(当時のオタクの状況を一コマで書くコミケサークル参加者の投稿漫画)には「隠れオタ」なる言葉がたくさんある。これは「クラスなどの組織で漫画やアニメが好きだと知られることを隠しているオタク」で、今でもあるけど当時は比べ物にならない、それこそ誇張でなく、迫害レベルの差別を受けた時代なんです。  その大きな要因を作ったキャラクターが宅八郎であり。当時のバラエティー番組なんです。以降、その残滓は何十年も引きずられていて、いまだにネットで「チー牛」なる言葉でバカにするような、「オタクは馬鹿にしても許される」という社会的認知を産まれさせたアイコン的な人物でもあります。  これに関して「宅八郎はあくまで当時のオタクを誇張しただけで、彼がいなくてもオタク文化は別の人によって馬鹿にされていた」という人がいますが、ここまではひどくならなかったと否定できる。というのは、宮崎事件以前にもアニメや漫画普及の土壌はあり、特にアニメでは宇宙戦艦ヤマトやガンダム、宮崎駿作品、マンガではマガジン、サンデー、ジャンプなど雑誌が売れていたように、すでにオタクカルチャーの理解の土壌が少しづつ作られていた時代なんです。(このは島本和彦の「アオイホノオ」の時代でもあり)そのせっかく育ててきた、ようやく漫画やアニメが一部マニアだけのものではない土壌ができつつあった時代に、その土壌に大量の毒をぶっかけ、少なくとも一般と呼ばれる社会認知を大きく歪めてしまった、彼らテレビバラエティー制作側の「面白さ」のためにめちゃくちゃにされた土地でもあります。  また、「オタクがいじられたのは本人の性格に問題がある」って人がいますけど、それこそなにも悪いことをしていない、クラスの片隅で絵を描いているような大人しい生徒をバカにするために「オタク」という流行の記号でいじって楽しむ、この行為をする側に正当性など何もないと。わかりやすい例では、当時私の学校の文化祭で、漫画研究部の展示物(同人誌やイラストなど)が開催中に何者かによって破壊、「オタク死ね」の落書きをされたことがありました。(犯人は見つからず)。この手の嫌がらせは規模や内容は違えど各地であったかと。  その後のオタク迫害の歴史は調べていただければと思いますが。だからこそ、私はこの人物を許せないわけです。(余談ですが、藤子不二雄A先生の「まんが道」でも、終戦直後、子供だった先生が漫画を描くことでいじめられる描写があります。当時もいたクラス内のマッチョ系男子の攻撃対象として、こういうオタク趣味というのは格好のえさになるんだと)  私は今、40過ぎましたが大手ゲーム会社でゲームを作るという、それこそオタクな仕事をしています。今の自分があるのはこういうオタク文化につかり、そこからいろんな技術や能力、面白さを知ったからこそ。だからこそ、彼の死に対して一部で「彼はオタクというものをメジャーにした立役者」みたいな取り上げ方をする報道には憤りを感じるのです。  興奮して長文になりましたが、あの時代、彼によって負わされた負債はいまだに残っています。  「もう過ぎたことをぐちゃぐちゃといっている」のではありません。今の漫画やアニメ、ゲームが大人でも気軽に楽しめる時代を作ったのは、彼やバラエティー番組が荒らした土壌を30年も根気つよく、地道に耕しなおした「好きなものを愛する」本当のオタクたちです。そのことを忘れてはいけません。

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